三十三観音のご利益や由来とは
観音菩薩の変化身として広く知られる三十三観音。絵画では良く見ますが、仏像を見ることはほとんどありません。三十三観音がどのような存在なのか、詳しく解説します。
- 三十三観音とは
- 三十三観音の成立
- 三十三観音の分類
- 各観音の詳細
- ①楊柳観音(ようりゅうかんのん)
- ②竜頭観音(りゅうずかんのん)
- ③持経観音(じきょうかんのん)
- ④圓光観音(えんこうかんのん)
- ⑤游戯観音(ゆげかんのん)
- ⑥白衣観音(びゃくえかんのん)
- ⑦蓮臥観音(れんがかんおん)
- ⑧瀧見観音(たきみかんのん)
- ⑨施薬観音(せやくかんのん)
- ⑩魚籃観音(ぎょらんかんのん)
- ⑪徳王観音(とくおうかんのん)
- ⑫水月観音(すいげつかんのん)
- ⑬一葉観音(いちようかんのん)
- ⑭青頚観音(しょうけいかんのん)
- ⑮威徳観音(いとくかんのん)
- ⑯延命観音(えんめいかんのん)
- ⑰衆宝観音(しゅうほうかんのん)
- ⑱岩戸観音(いわとかんのん)
- ⑲能静観音(のうじょうかんのん)
- ⑳阿耨観音(あのくかんのん)
- ㉑葉衣観音(ようえかんのん)
- ㉒瑠璃観音(るりかんのん)
- ㉓多羅尊観音(らたらそんかんのん)
- ㉔蛤蜊観音(こうりかんのん)
- ㉕六時観音(ろくじかんのん)
- ㉖合掌観音(がっしょうかんのん)
- ㉗一如観音(いちにょかんのん)
- ㉘不二観音(ふにかんおん)
- ㉙持蓮観音(じれんかんのん)
- ㉚灑水観音(しゃすいかんのん)
- ㉛馬郎婦観音(ばろうふかんのん)
- ㉜普慈観音(ふひかんのん)
- ㉝阿摩提観音(あまだいかんのん)
三十三観音とは
三十三観音とは『法華経』普門品に記された「観世音菩薩が衆生を救済するため三十三の化身として現れる」という「三十三応身」を基に、民間で信仰されていた観音菩薩の姿を当てはめたものです。
三十三応身は日本でも『法華経』や観音信仰が民間に流布すると、その存在が広く知られます。また十一面観音像を奉じる寺院などでは、その変化身として三十三応身像を一緒に祀る例もあります。
三十三応身一覧
1 | 仏身(ぶっしん) | 12 | 居士身(こじしん) | 23 | 童男身(どうなんしん) |
2 | 辟支仏身(びゃくしぶつしん) | 13 | 宰官身(さいかんしん) | 24 | 童女身(どうにょしん) |
3 | 声聞身(しょうもんしん) | 14 | 婆羅門身(ばらもんしん) | 25 | 天身(てんしん) |
4 | 梵王身(ぼんおうしん) | 15 | 比丘身(びくしん) | 26 | 龍身(りゅうしん) |
5 | 帝釈身(たいしゃくしん) | 16 | 比丘尼身(びくにしん) | 27 | 夜叉身(やしゃしん) |
6 | 自在天身(じざいてんしん) | 17 | 優婆塞身(うばそくしん) | 28 | 乾闥婆身(けんだっぱしん) |
7 | 大自在天身(だいじざいてんしん) | 18 | 優婆夷身(うばいしん) | 29 | 阿修羅身(あしゅらしん) |
8 | 天大将軍身(てんだいしょうぐんしん) | 19 | 長者婦女身(ちょうじゃぶにょしん) | 30 | 迦楼羅身(かるらしん) |
9 | 毘沙門身(びしゃもんしん) | 20 | 居士婦女身(こじぶにょしん) | 31 | 緊那羅身(きんならしん) |
10 | 小王身(しょうおうしん) | 21 | 宰官婦女身(さいかんぶにょしん) | 32 | 摩睺羅伽身(まごらがしん) |
11 | 長者身(ちょうじゃしん) | 22 | 婆羅門婦女身(ばらもんぶにょしん) | 33 | 執金剛身(しゅうこんごうしん) |
この三十三応身と現在流布している三十三観音と直接的な関係はありません。三十三観音に挙げられている観世音菩薩の中には仏典に登場しないものが多く、インド・西域誕生の観音菩薩以外のほとんどが中国で独自に創作された観音菩薩です。
時代により多少内容が異なりますが、現在三十三観音に挙げられている観音菩薩は以下の通りです。
三十三観音一覧
1 | 楊柳観音(ようりゅうかんのん) | 12 | 水月観音(すいげつかんのん) | 23 | 多羅尊観音(らたらそんかんのん) |
2 | 竜頭観音(りゅうずかんのん) | 13 | 一葉観音(いちようかんのん) | 24 | 蛤蜊観音(こうりかんのん) |
3 | 持経観音(じきょうかんのん) | 14 | 青頚観音(しょうけいかんのん) | 25 | 六時観音(ろくじかんのん) |
4 | 圓光観音(えんこうかんのん) | 15 | 威徳観音(いとくかんのん) | 26 | 合掌観音(がっしょうかんのん) |
5 | 游戯観音(ゆげかんのん) | 16 | 延命観音(えんめいかんのん) | 27 | 一如観音(いちにょかんのん) |
6 | 白衣観音(びゃくえかんのん) | 17 | 衆宝観音(しゅうほうかんのん) | 28 | 不二観音(ふにかんおん) |
7 | 蓮臥観音(れんがかんおん) | 18 | 岩戸観音(いわとかんのん) | 29 | 持蓮観音(じれんかんのん) |
8 | 瀧見観音(たきみかんのん) | 19 | 能静観音(のうじょうかんのん) | 30 | 灑水観音(しゃすいかんのん) |
9 | 施薬観音(せやくかんのん) | 20 | 阿耨観音(あのくかんのん) | 31 | 馬郎婦観音(ばろうふかんのん) |
10 | 魚籃観音(ぎょらんかんのん) | 21 | 葉衣観音(ようえかんのん) | 32 | 普慈観音(ふひかんのん) |
11 | 徳王観音(とくおうかんのん) | 22 | 瑠璃観音(るりかんのん) | 33 | 阿摩提観音(あまだいかんのん) |
三十三観音の成立
中国に観音信仰が流入したのは魏晋時代です。唐代に入ると現世利益を叶える観世音菩薩信仰が民間まで浸透し、「これらの奇跡は観音菩薩の仕業だった」という民間伝承が数多く誕生しました。実際に三十三観音に登場する各観音菩薩の伝承は殆どが唐代を舞台とし、また遅くても明初までの物語です。
中国では大航海時代の影響で明代にキリスト教の布教が行われ、マリア像や聖人像などのキリスト絵画が民間に知られます。これらの表現は当時の中国の画家たちの想像力を掻き立て、仏画に子供が描かれるなどの変化が生まれます。
現在、三十三観音の図像の秀作とされているのは日本の江戸時代延宝7年(1679)に黄檗宗の画僧・鶴洲霊翯が描いた『三十三観音変相図』です。これらの観音図の中には従来の仏画では見られないキリスト教的な表現も見られます。
三十三観音の成立は恐らく中国の明代中期から清代初で、貿易や中国僧との交流で日本にも知られるようになったと考えられます。
三十三観音の分類
前述の通り、三十三観音の大半は中国で独自に想像された観音像です。
三十三観音の分類は以下の通り。
1、インド・西域由来で仏典が存在するもの。
三十三観音の中で中国以外に由来を持つ観音菩薩は、白衣観音、水月観音、青頚観音、瑠璃観音、多羅尊観音の5柱です。これらの観音菩薩には実際に経典が存在します。
2.もともと仏教由来の事物から生まれたもの
仏典や仏像に元々ある要素が観音に昇華して誕生した観音菩薩は、楊柳観音、持経観音、延命観音、蓮臥観音、阿耨観音、六時観音、合掌観音、一如観音、不二観音、阿摩提観音。
3.中国民間の観音信仰から生まれたもの
1、2以外の観音菩薩。これは伝奇物語の形を採り、「その奇跡は観音菩薩が起こした」という文脈が殆ど。魚藍観音のように元々別の伝承が、観音に置き換わったと考察される事例も多数あります。
各観音の詳細
①楊柳観音(ようりゅうかんのん)
中国創出の観音菩薩で、別名は薬王観音。左手に施無畏印を結び、右手に柳の枝を持つ女性形で表現されます。柳の枝を薬にし、病や災いを取り除くご利益があるとされます。
唐の義浄著『南海寄帰内法伝』に西域の風俗に浄水を浸した柳の葉で洗礼をし、健康を保つ記載があり、これが千手観音の持仏に採用されます。楊柳観音はこの柳の枝の意義を単独で表現した観音として作り出されたと考えられます。
『法華経』普門品にある「応以仏身得度者観世音菩薩。即現仏身而為説法(まさに仏の身を以って得度する者は観世音菩薩なり。即ち仏の身となりて現れ説法を為すべし)。」に対応しています。仏身とはまさに仏陀のこと。
現在、中国では御守など単独像で採用されることが多い観音菩薩です。日本では禅画や日本画などで好んで描かれますが、単独像で祀られることはほぼありません。
②竜頭観音(りゅうずかんのん)

中国創出の観音菩薩です。天龍の化身とされ、龍の頭に乗る観音菩薩で、基本的に観音菩薩自体は白衣観音とほぼ同じです。「天龍によって夜叉が得度し、説法によって観音となったと」いう一節があり、これが派生したもの。
また普門品の「応以辟支仏身。得度者。即現辟支仏身。而為説法(まさに辟支仏の身で得度する者は、即ち現辟支仏の身となりて現れ説法を為すべし)。」に対応しているとされています。辟支仏とは悟りを開いても人への教化はしない聖者のことです。
災難を取り除き、吉祥と平安を与えるとされ、さらに雨を降らす神通力を持っているとされています。龍が題材なので、崇拝としてより絵画や彫刻など美術品として表現されることが多い観音菩薩です。
③持経観音(じきょうかんのん)
中国創出の観音菩薩。名前の通り盤石に座り、右手に経典、左手を膝の上に置く姿で表現されます。
『法華経』普門品の「応以声聞身得度者即現声聞身而為説法(応に声聞の身を以って得度する者は、即ち現声聞の身にて現れ説法を為すべし」に対応しているとされます。声聞とは仏弟子のこと。
出典は唐代の民間伝承から。「唐朝の時代に貧しい書生の前に経典を持った観音が現れた。その書生が観音の法で悟りを得て、後に科挙に合格したことから、この観音の恩を感じて廟を建てた。」とあります。
④圓光観音(えんこうかんのん)
中国創出の観音菩薩です。光背に圓光或いは火炎光を背負い、念珠を以って合掌し蓮華座か盤石に趺坐する姿か、蓮華座に立ち左手に施無畏印、右手に与願印を結ぶ姿で表現されます。
圓光は智慧の光を意味し、『法華経』普門品の「無垢清浄光、慧日破諸闇、能伏災風火、普明照世間(無垢清浄の光、慧日は諸闇を破り、能く災風火を伏し、普明は世間を照らす」に対応しています。
出典は中国の民間伝承で「閩南(福建省)に出現したとされる観音菩薩で、子供の目ばかりを食べる猪の妖怪を降伏した。」と言われています。
⑤游戯観音(ゆげかんのん)
中国創出の観音菩薩です。「游戯」とは「自由に化身し、自在に教化する」という意味です。天衣を纏った菩薩形で、左膝を立て左手を膝に置き、右手は降摩印を結び、彩雲に乗る姿で表現されます。
『法華経』普門品の「応以帝釈身。得度者。即現帝釈身。而為説法(まさに以帝釈の身を以って得度する者は、即と帝釈の身となりて現れ説法を為すべし。)。」に対応し、帝釈天の菩薩形とされています。
出典は洛陽の民間伝承から。「鏡売りを生業と貧しい男の前に観音菩薩が現れ人の前世を映す鏡を与えた。男は三文の銭で人々にこの鏡を見せ、鏡を見た人々は自分に因果応報を悟り、善行を積むようになった。男はその鏡で裕福になり、その富で観音像を奉じた」とされています。
⑥白衣観音(びゃくえかんのん)
インド由来の女性形の観音菩薩。観世音菩薩とは元々と別の存在ですが、三十三観音の化身の一つに採用されています。普門品の四衆身の「比丘尼(出家した尼僧)」に対応しています。三十三観音の中で最も著名な観音菩薩で、中国や日本でも単独崇拝されています。
中国では漢代の出来事とされる妙善公主伝説の流布により女性形の観音菩薩のプロトタイプが成立し、この観音菩薩こそ白衣観音だという印象が持たれています。
⑦蓮臥観音(れんがかんおん)
中国創出の観音菩薩で、蓮華の葉の上に合掌して座る姿で表現されます。蓮華は仏教の教えを象徴する花とされ、仏教遺跡の紀元2世のアジャンタ石窟群にも蓮の花を持つ菩薩像が描かれています。中国にもそのままの姿で伝来しているので、これが蓮臥観音の源流と考えられます。
普門品の「応以小王身。得度者。即現小王身。而為説法(まさに小王の身を以って得度する者は即ち現小王の身となりて現れ説法を為すべし)。」に対応しています。
出典は中国民間伝承から。「衆宝観音像の宝を盗んだ盗賊が、その像を長江に捨てた。ある日、仏法に熱心だが不眠症に悩む商人が長江を渡った際に、岸に流れ着いた観音像を拾った。男は蓮の上に観音像を立てようとしたが破損で立たず、寝かせて安置した。後日、男の不眠症は解消した」とあります。
⑧瀧見観音(たきみかんのん)
中国創出の観音菩薩です。別名は飛瀑観音。岩の上に座り滝を見る姿で表現され、日本画の題材でも良く採用されています。
『法華経』普門品の「仮使興害意 推落大火坑 念彼観音力 火坑変成池(たとい害意興(おこ)りて大火坑に推落すれば、彼(か)の観音力を念じて火坑変じて池と成す)」に対応しているとされています。そのため、降雨にご利益があるとされています。
出典は晩唐の民間伝承から。「病の母親を持つ貧しい農夫が旱魃の害に遭い、母のために野菜を盗み投獄された。ある日、農夫の妻が岩の上で瀑布を望む観音を見付け、その威厳に困惑して目を擦るとその姿は消えていた。
暫くして田と滝の間に観音姿の石を発見し、それを廟に奉納した。暫くして奇跡が起こり、滝の水が田に流れ出し大豊作となった。農夫の罪も免れ、母も健康な生活を送れるようになった。」とあります。
⑨施薬観音(せやくかんのん)
中国創出の観音菩薩です。右手は頬に当て肘を何かに寄りかけ、左手に薬草を持って姿で表現されます。病を治し、苦痛を取り除くご利益があるため施楽観音の別名があります。
『法華経』普門品の「観世音浄聖 於苦悩死厄 能為作依怙(観世音の浄聖は苦悩死厄に於いて能く為作依怙を作るを為す)」に対応しているとされています。
出典は唐代の山東省の民間伝承から。「登州府で疫病が流行った時に、薬売りの老父に化身した観音が現れ、一カ月でこの地の疫病を根絶して人々を救った。」と言われています。
⑩魚籃観音(ぎょらんかんのん)
中国創出の観世音菩薩です。一般に魚を入れた籠を手荷に持つ女性形で表現されます。魚籃観音は単独像としても信仰され、『西遊記』の第四十九話に三蔵法師一行を助ける菩薩として登場。日本でも羅刹・毒龍・悪鬼の害を除くご利益がある観音様として中世以降に篤く信仰されています。
『法華経』普門品の「或遇悪羅刹、毒龍諸鬼等、念彼観音力、時悉不敢害(或いは悪羅刹や毒龍、諸鬼等に遇わんに、彼の観音力を念ぜば、 時に悉く敢えて害せず)」に対応しているとされています。
出典は『観音感応伝』から。「唐元和十二年、金沙灘で籠に魚を携えた絶世の美女が現れ、妻に迎えたい男が続出した。美女は『普門品』『金剛経』『法華経』の暗唱を条件にし、唯一暗唱できた男と結婚した。婚礼翌日に美女は亡くなり、遺体も消えてしまった。
その話を地元の老和尚が聴くと、美女は観世音菩薩の化身で仏教を広めるために現れたと男を諭し、男は彼女の姿の観音像を作り廟に奉納した。」とあります。
ただし、この話は唐の大歴年間(766~779)に記された『延州女子伝奇』と内容が酷似し、当時流行した観音信仰でにより魚籃観音の説話として置き換わったと考えられています。
⑪徳王観音(とくおうかんのん)
中国創出の観音菩薩です。盤石上に趺坐、右手に菩提樹の葉を持つ姿、或いは右手に柳の葉、左手を臍に添えた姿で表現されます。
『法華経』普門品にある「応以梵王身得度者即現梵王身而為説法(まさに梵王の身を以って得度する者は、即ち梵王身の身となりて現れ説法を為すべし」に対応しているとされています。
出典は民間伝承から。「唐代に淮西(現在の安徽省寿春)で兵が反乱した。朝廷から当地に左遷されていた裴度が観音像に嘆願すると、梵王(梵天)に化身して反乱を鎮めた。その功績で裴度は朝廷に戻れ宰相まで出世。裴度は梵王姿の「徳王観音」の像を作り、廟を建てて奉納した。」とされています。
そのため徳王観音は出世栄達にご利益があるとされています。
⑫水月観音(すいげつかんのん)
西域(中央アジア)生まれの観音菩薩です。別名は水吉祥観音、水吉祥菩薩。胎蔵界曼荼羅では観音院の水吉祥菩薩と同体です。
水月観音は様々な姿で表現されますが、海や湖に浮かぶ蓮の上に立って水中に浮かぶ月を見る姿か、大海中に浮かぶ岩の上の蓮華座に趺坐(ふざ)し、右手に未敷蓮華、左手は施無畏印を結び、掌から水を出している姿が殆どです。
千手観音菩薩との関連が深く、後周の世宗5年(958)に『仏説水月観音菩薩経』奉納の記録があり、この経典の内容は『千手観音経』と同じです。
また敦煌莫高窟では水月観音を描いた絵が15幅発見されています。年紀を記した絵画の中では943年ものが一番早く、千手観音像の右側に「水月観音菩薩」と記した菩薩像が発見されています。
⑬一葉観音(いちようかんのん)

中国創出の観音菩薩です。水面に浮かぶ一葉の蓮の葉に乗る姿で表現されます。別名は蓮葉観音、南溟観音。『法華経』普門品の「応以宰官身。得度者。即現宰官身。而為説法(まさに宰官の身を以って得度する者は、即ち宰官の身となりて現れ為説法を為すべし)。」に対応しています。
中国の伝承では鄱陽湖の氾濫を鎮めたとされ、水害を除くご利益があるとされています。
また14世紀に永平寺十四世建撕が記した『建撕記』では、曹洞宗の開祖・道元が日本への帰路で暴風雨に遭った時に『観音経』を唱えると一葉観音が海上に現れ、波を鎮めて無事上陸できたと伝承され、曹洞宗では崇拝の対象です。
⑭青頚観音(しょうけいかんのん)
インドのヒンドゥー教の三大神の一柱、シヴァ神が仏教に取り込まれ観音となった姿です。サンスクリット語では「ニーラカンタ」で、そのまま青頚を意味します。また音写では抳羅建詑、儞羅建、羅建制などで表現され、別名を青頭観音、青頚観自在菩薩とも呼ばれます。
青頚観音は三面四臂で首は青色、手に錫杖、法輪、法螺、蓮華を持つ姿で表現されます。「魔から衆生を救済するため人を害する毒を食らい、その毒で首が青くなった」とされ、実際にヒンドゥー教の神話『乳海攪拌』に同様の話があります。
『観音経』や『不空羂索経』にも功徳が説かれ、『青頸観自在菩薩心陀羅尼経』など青頚観音単独の経典も存在します。ただし、中国や日本で単独崇拝されることは殆どありません。
⑮威徳観音(いとくかんのん)
中国創出の観音菩薩です。盤石上に趺坐し、左手に蓮華を持つ姿で表現されます。
『法華経』普門品の「応以天大将軍身、得度者、即現天大将軍身而為説法(まさに天大将軍の身を以って得度する者は、即ち天大将軍の身となりて現れ説法を為すべし」に対応しているとされています。「威徳」は将軍の威徳を意味します。
出典は民間伝承から。「唐の太宗が高句麗に親征した。先鋒の軍が計略に遭い20万人の高句麗軍に囲まれた。奮戦中に、突然天から猛将が現れ敵陣の弱点を指し示し、無事血路を開いて脱出。太宗もこの活躍に奮起し、高句麗軍を大敗させた」と言われています。
そのため、威徳観音は困難を切り開くご利益があるとされています。
⑯延命観音(えんめいかんのん)
中国創出の観音菩薩です。水辺の岩に寄りかかり、右の手のひらを頬に当て、水流を眺める姿か、或いは頭に大宝冠を戴いた慈悲相で、煌びやかな天衣を纏う二十臂像で表現されます。後者は延命普賢菩薩が原型と考えられます。
『法華経』普門品では「比丘尼身」に対応し、「呪詛諸毒薬、所欲毒身者、念彼観音力、還著于本人(呪詛諸毒薬に毒を欲せんする所の身の者は、彼の観音力を念ぜば、本人に還りて著わる)」を体現していとされます。そのため延命観音は呪いや毒の害を除き、寿命を延ばすご利益があるとされます。
出典は民間伝承から。「大倉(現江蘇省蘇州)で医者でも治療不可能な疫病が流行し際に、観音菩薩が頭に皮膚病を患った僧侶の姿で現れ病を治す赤い柳の薬を配った。人々は信じなかったが、一人の老婆がその薬を煎じて飲むと、直に病は癒えた。
老婆が人々に告げて回ると、皆信じてその薬を飲み、暫くして病気が治った。感謝のため人々が僧侶の元に訪れると観音菩薩となり姿を消した。人々は感謝の意を込め、赤い柳を持つ観音像を作って奉納した。」と言われています。
⑰衆宝観音(しゅうほうかんのん)
中国創出の観音菩薩です。地上に趺坐し、右手を地に着け。左手を膝に乗せ、法衣にたくさんの宝石をちりばめた姿で表現されます。
『法華経』普門品の長者に対応し、「若有百千万億衆生、為求金銀、瑠璃、硨磲、瑪瑙、珊瑚、琥珀、珍珠等宝、入于大海、假使黒風吹其船舫、飄堕羅刹鬼国、其中若有乃至一人、称観世音菩薩名者(もし百千万億の衆生が金銀、瑠璃、硨磲、瑪瑙、珊瑚、琥珀、珍珠等の宝を求めた大海に入らんとし、もし黒風吹きてその船舫羅刹国に飄堕し、もしその中に乃至一人あらば、称観世音菩薩の名を称する者なり)」を体現しているとされています。
出典は民間伝承から。「貧困地区だった江北に仏法を信奉する老人がおり、家にきれいな貝で飾った菩薩像を据え「衆宝観音」と称し毎日熱心に拝んだ。観音菩薩は感動し、この家を繫栄させた。これを見た周囲の人も家で「衆宝観音」を奉じるようになり、皆栄えるようになった」と言われています。
そのため衆宝観音は富貴繁栄の現世ご利益があるとされています。
⑱岩戸観音(いわとかんのん)
中国創出の観音菩薩です。蛇や蠍、蜥蜴など毒虫が住む岩窟の中で入定(瞑想)しているとされ、絵画などで岩窟の中で迷走している姿で表現されます。そのため岩洞観音、岩石観音の別名があります。岩窟で瞑想する僧侶の話は仏典に多く、その姿が採用されたと考えらます。
『法華経』普門品の四衆身の「優婆夷(うばい、在家の女性信者)」に対応し、「蚖蛇及蝮蠍、気毒煙火燃、念彼観音力、尋声自回去(蚖蛇及の蝮蠍、気毒、煙火燃ゆる、彼の観音力を念ずれば、声を尋ね自ずから回【かえ】り去る)」を具現化した観音菩薩とされています。
出典は民間伝承から。「明の時代に、離れ離れになった母を探し求めていた孝行者の呉璋が、その道すがら毒蛇に噛まれて瀕死に陥った時、その純真さに心打たれて現れ毒を除くと共に、母の元に送り届けた」とされています。
⑲能静観音(のうじょうかんのん)
中国創出の観音菩薩です。宝飾品で着飾った天衣をまとい、化仏を戴いた髷を高く結った立像か、海辺の盤石に座り両手を盤石に置いて瞑想する姿で表現されます。『法華経』普門品の「婦女」に対応し、仏教の戒定慧を体現しているとされています。
出典は民間伝承から。「開封の張家には3人の息子がおり、それぞれ嫁を迎えた。しかし悉く姑との関係が悪化し、その喧嘩は近隣住民を悩ませ反感を買っていた。観音菩薩が尼僧となって嫁と姑の前に現れ静慧(清浄の智慧)の偈を説くと、たちまち嫁と姑はその意義を悟り、再び争うことが無くなった。」と言われています。そのため家庭円満のご利益があるとされています。
また「能静」の名から『普陀山誌』や『冥祥記』『夷堅志』などでは海難事故から救ったり、防風雨を鎮めたりする話が残されています。
⑳阿耨観音(あのくかんのん)
中国創出の観音菩薩です。名前の由来は唐の玄奘三蔵著『大唐西域記』にある伝説の湖「阿耨達池」からです。『維摩経』仏国品に、阿耨には「天上」の意味があり、瞻部洲の中央、香山の南、大雪山の北にあり、周囲は金銀財宝で満ち、阿耨達竜王が住み、清冷水で全世界を潤すとされています。
『法華経』普門品の「或漂流巨海 龍魚諸鬼難 念彼観音力 波浪不能没(或いは巨海に漂流し、龍、魚、諸鬼の難あり、彼の観音力を念ぜば、波浪にて没むに能わず」を体現しているとされ、盤石の上に左膝を立て、両手を交差させて遠く海を眺める姿で表現されます。
出典は民間伝承から。「観世音菩薩は僧侶姿で揚州に現れた。僧侶はある炭鉱で崩れる予兆を発見し鉱夫たちに告げたが、僧侶を怪しみむと共に工期が迫っていたので仕事を止めなかった。そこで観音は美しい饅頭売りの少女に変身し、こう叫んだ。
「熱々で美味しい饅頭がただだよ」。鉱夫達は饅頭欲しさに皆坑道から出てくると、忽ち坑道が崩壊した。鉱夫が冷や汗をかきながら振り返ると、その少女は消え、観音菩薩が座っていた。そして梵音が響くと、雲に乗り去っていった。」と言われています。
㉑葉衣観音(ようえかんのん)
インド密教由来の観音菩薩です。古代インド東南部にいたシャンバラ族の衣装とされる千の葉(或いは孔雀の羽根)を紡いだ袈裟を纏い、バラモン教の女神の姿をしています。
胎蔵界曼荼羅の観音院に存在し、身は肉色、左手に羂索、右手に杖、右膝を立て赤蓮華に座る姿で表現されます。三昧耶形は未開敷蓮華で、密号は「異行金剛」。密教経典に『葉衣観自在菩薩陀羅尼経』があり、いわゆる鎮宅法が説かれています。『法華経』普門品の「婆羅門女」に対応しています。
チベット密教では仏教一切の智慧を表す観音とされ、Parnashavari(葉衣仏母)として単体で崇拝されます。また山林で修業する仏法者の守護神とされ、種種の薬を作り、医薬では治せないあらゆる病を治し、末法の最終戦争で勝利するとされています。
またチベット密教は皮膚の色で形態が異なり、赤及び黒は一面二臂で忿怒相、青は一面四臂の忿怒相、黄色は三面六臂の慈悲相で三眼、頭に五仏冠戴き、3つの髷を結い、右足を曲げ、左足を伸ばす姿で表現されます。
㉒瑠璃観音(るりかんのん)
ヒンドゥー教に起源をもつ薬師如来が観音菩薩に変化したものです。瑠璃は宝石のラピスラズリのことで、薬師如来を象徴とされています。
出典は東魏(534~550年)で作られた偽経『高王観世音経』から。薬師瑠璃光王佛として登場し、内容的にも薬師如来とほぼ同じです。この経典を千回唱えると死人も生き返るとされています。
また唐代に編纂された『開元釈教録』巻十八には、「北魏天平年間に、定州の孫敬徳なるものが瑠璃観音像を作り毎日礼拝していた。ある日、賊に襲われ誘拐されてしまった。処刑前日、夢に『高王観世音経』を唱える僧侶が現れ、目が覚めると寝言で千回唱えていた。
処刑当日、賊が孫敬徳の首を切るものの3度も刀が折れたため釈放された。家に帰ると、瑠璃観音像の首に3筋の刀傷があった。これにより瑠璃観音を信仰するものが増えた。」とあります。
㉓多羅尊観音(らたらそんかんのん)

インド由来の女性格の観音菩薩です。インド神話の女神が源流で、チベット密教で四大元素の「風」を象徴する本尊として最重要視されるターラーと同体です。多羅はその音写で、「目」を意味します。観音菩薩の涙から生れ、右目の涙が白ターラー、左目の涙が緑ターラーとなったとされています。
後期密教では観音菩薩の心から生まれたとされ、別名を多羅眼観音、多羅菩薩と呼びます。胎蔵界曼荼羅の観音院では右列5番目に位列しています。戦闘神としての性格が強く、十方の衆生の苦しみを除くため、魔を悉く調伏したため救度速勇母とも呼ばれます。
『法華経』普門品では「或値怨賊繞 各執刀加害 念彼観音力 咸即起慈心(或いは怨賊の繞に値し 各刀を執りて害を加えんとす、彼の観音力を念ぜば、咸な即ち慈心が起る」に対応しています。
中国の民間伝承では「北宋末に金軍が朝廷に攻め込んできた。敵軍に捕らえられた息子達の帰りを、毎日涙を流しながら待つ老婆が遂に失明しまった。それを哀れんだ観世音菩薩が赤い脚をした医者に化身して老婆の目を治し、息子たちを無事帰宅させた。」と言われています。
㉔蛤蜊観音(こうりかんのん)
中国創出の観音菩薩です。蛤の殻の中、或いは蛤に乗り海を渡る姿で表現されます。仏典には記載が無く『佛祖統紀』巻四十二、唐文宗開成元年条が出典。
「唐の文宗は蛤が好きだった。それを知った地方官僚が地元の漁民に蛤漁を科した。悪天候でも漁に出なければならず、遭難が相次ぎ、漁民たちは天を恨んだ。観音菩薩は哀れみ、五色の輝く大きな蛤の中に身を隠した。
この目立つ蛤は早速朝廷に届けられ、調理人が包丁を入れても開かなかった。偶然文宗が厨房を訪れると蛤は口を開き、中から真珠の観音像が出てきた。文宗は驚き国中に蛤漁禁止令を出し、漁民たちは安心して暮らせるようになった。」とあります。
ただし、この話には原型があり『原化記』の故事「白田螺」が変化したもの。観音信仰の流布と共に創作されたと考えられます。
㉕六時観音(ろくじかんのん)
中国創出の観音菩薩です。六時とは仏教で一日の内で読経をすべき時刻、晨朝(じんじょう)・日中・日没(にちもつ)・初夜・中夜・後夜(ごや)のことで、現在の二十四時間と意味は同じ。
観音菩薩の慈悲心が二十四時間常に衆生に注がれていることを象徴する観音とされ、在家の信者である居士の法衣をまとい、右手に『六時章句陀羅尼』が入った梵筐、左手に摩尼宝珠を持ち、立像で表現されます。
『法華経』普門品の「応以居士身。得度者。即現居士身。而為説法(応に居士の身を以って得度する者は、即ち居士の身として現れ説法を為すべし)」に対応しているとされます。
㉖合掌観音(がっしょうかんのん)
中国創出の観音菩薩です。仏教の合掌礼拝具現化し、観音菩薩が合掌した姿で表現されます。仏教では右手が浄土、左手が衆生を意味し、合掌で仏と一体になる帰依を象徴します。
『法華経』普門品の「応以婆羅門身得度者、即現婆羅門身而為説法(まさに婆羅門に身を以って得度する者は、即ち現婆羅門の身として現れ説法を為すべし)」に対応しているとされています。
出典は民間伝承から。「湖州(現在の浙江省)に大工の張木匠と果樹を植える陳老漢が隣り合せで住んでおり、家の境界で常に揉めていた。観音菩薩は豪商に化身し、陳老漢から剪定で余った端材を買い取り、張木匠に安く売った。
また儲けた金で張木匠の友達に陳老漢の美味しい果物を紹介した。このように両家を往来し、徐々に二人の間の不満は解消。相互に利益があると分かると水魚の交わりを結んだ。この時、合掌した観音菩薩が現れ、その姿から観音菩薩の導きだったと理解した。」とあります。
㉗一如観音(いちにょかんのん)
中国創出の観音菩薩です。名前の由来は仏教で真実を意味する「一如」から。一如観音は手に説法印を結び、雲の上の蓮華座に座るか、雲の上に立ち飛行する姿で表現されます。
『法華経』普門品の「雲雷鼓掣電 降雹澍大雨 念彼観音力 応時得消散(雲雷掣電を鼓ち、大雨を降雹澍せば、彼の観音力を念じ、時に応えて消散するを得る。)」に対応し、雷で魔を調伏すると言われています。
また中国の伝承では玄奘三蔵が天竺まで経典を取りに行く途中に遭った八十一難で、信念を曲げないよう手助けしたとされています。
㉘不二観音(ふにかんおん)
中国創出の観音菩薩です。名前の由来は仏典『維摩経』にある「不二法門」から。天衣をまとい、水中に立つか、水面に漂う蓮の上に座る姿で表現されます。衆生を災害から守り、幸福と寿命を保つご利益があるとされます。
『法華経』普門品の「応以執金剛神(金剛力士)身。得度者。即現執金剛神。而為説法(まさに執金剛神(金剛力士)身を以って得度するものは、即ち執金剛神として現れ説法を為すべし)。」に対応しているとされています。
中国のある説では、中国禅宗の開祖である善導大師が19年の座禅修行で不二観音を観想し、悟りを得たと言われています。
㉙持蓮観音(じれんかんのん)
中国創出の観音菩薩です。蓮の葉の上に立ち、両手で一輪の蓮の花を携えた少女姿で表現されます。送子観音、企福観音、祈福観音などの異名を持ちます。
『法華経』普門品の「応以童男童女身、得度者,即现童男童女身而為説法(応に童男童女の身を以って得度する者は,即ち童男童女の身にて現れ説法を為すべし」に対応するとされています。
出典は『西遊記』から。物語では三蔵法師一行を何度となく助け、天竺まで無事送り届けます。
㉚灑水観音(しゃすいかんのん)
中国創出の観音菩薩で、別名を滴水観音と言います。右手に柳の枝か法印を結び、右手に水が流れる水瓶を持つか、右手に鉢、左手に柳の枝を持つ立像で表現されます。灑水とは密教で加持した香水で煩悩や穢れを清める儀式のこと。そのため煩悩や穢れを除くご利益があるとされます。
『法華経』普門品の「若為大水所漂、称其名号、即得浅処(若し大水の為に漂する所とならば、祖の名号を称せば、即ち浅き処を得ん)」に対応しているとされています。
また水を操る法力があるとされ、水害・旱魃から人々を救う話が中国各所に残されています。
㉛馬郎婦観音(ばろうふかんのん)
中国創出の観音菩薩で、魚籃観音は同源異体。右手に法華経、左手に髑髏を持つ女性形で表現されます。馬郎婦とは中国北方の騎馬民族の夫人に対する呼称です。
『佛祖統紀』に「仏法を知らず騎射で殺生を行う騎馬民族の前に婦人姿で現れ、仏法に帰依させたことで馬郎婦観音と呼ばれるようになったと」あります。
その後日談として、この観音が金沙灘で漁民が生活のために大量の魚を殺生していることを知り、殺生を止めさせるため籠に魚を携えた絶世の美女として金沙灘に現れたのが魚籃観音であるとされています。ただし、実際に観音菩薩として成立したのは魚籃観音が先です。
㉜普慈観音(ふひかんのん)
中国創出の観音菩薩です。観世音菩薩の慈悲心が普遍であることを象徴し、両手で法衣の前垂れを持ち、山の上に立つ立像で表現されます。
『法華経』普門品「では応以大自在天身。得度者。即現大自在天身。而為説法(まさに大自在天身を以って得度する者は、すなわち大自在天の身となって現れ説法を為すべし)。」に対応しているとされています。大自在天とはヒンドゥー教の三大神の一柱、シヴァ神が仏教に取り込まれた際の呼び名です。
出典は民間伝承から。「宋代に仏教に熱心な男が銀行業で財を成した。老齢となり息子に家業を継がせたが、手代(従業員)との仲が険悪で徐々に家業が衰退していった。男を哀れんだ観音が手代に化身して入行し、双方一致団結できるよう仲を改善し、商売が再び繁盛した」とあります。
そのため中国では事態打開のご利益があるとされています。
㉝阿摩提観音(あまだいかんのん)
中国創出の観音菩薩です。阿摩提とはサンスクリット語で「無畏」「寛広」を意味する“Abhetri ”“Abhetti”の音写です。そのため、他に阿麼提観音、無畏観音、寛広観音の異名を持ちます。阿摩提は南インドで栄えた仏教国・那羯磔迦国の首都の名です。
三十三観音では毘沙門天の観音形とされ、『法華経』普門品の「応以毘沙門身。得度者。即現毘沙門身。而為説法(まさに毘沙門の身を以って得度する者は、即ち現毘沙門の身となって現れ説法を為す)。」に対応しているとされれています。
一般的に盤石の上に座り両手を膝の上に乗せる姿か、『観自在菩薩阿麼提法』にある宝冠を被り白蓮華の装束を着た慈悲相三眼一面四臂の密教形で、左足を曲げ、右手を垂らして白獅子に乗り、手に箜篌(くご、ハープに似た弦楽器)、羯磨漁、白吉祥鳥を載せた姿で表現されます。
毘沙門天と同様に一切の障魔や衆悪を取り除き、道を切り開くご利益があるとされます。
出典は民間伝承『負石阻兵』から。「漢代に外族の軍が大理国を侵犯した。観音菩薩は老婆に化身し、尋常ではない大きな石を軽々背って行軍の前に現れた。兵達は異常な老婆に驚き進軍できず、悲鳴を上げて撤退した。住民たちは観音菩薩が背負った石の上に廟を建て、観音像を奉納した」とあります。
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