大日如来って、どんな仏様?
大日如来とは
大日如来は大乗仏教で信仰される如来に属す尊格です。サンスクリット語ではマハーヴァイローチャナ(Mahāvairocana)と呼び、魔訶毘盧遮那仏と音写され、毘盧遮那仏、毘盧遮那如来とも表記されます。
サンスクリット語のマハーは「王」、ヴァイローチャナは「全てのものを遍く照らす」という意味から、大日如来と漢訳されました。経典により大光明遍照、大日遍照、光明遍照、遍照王如来、遍一切処などとも漢訳されます。
大日如来は密教で大変重要視され、「大日」の名の通り太陽を象徴した如来です。太陽の光が全ての世界を照らし生物を育むように、仏教の光で衆生を遍く照らし救済するとされます。
また密教では一切諸仏は大日如来の化身とされ、そのため「万物の慈母」と表現されます。特に真言密教で全宇宙の真理を体現する仏として、大日如来を最高神に位置付けています。
さらに大日如来は密教の教義を視覚的に表現した両界曼荼羅の中心を成す仏で、金剛界曼荼羅は大日如来の「智」を、胎蔵界曼荼羅は大日如来の「理」を表現しえいるとされます。
大日如来の仏像の見分け方
大日如来の仏像は如来でありながら宝冠や腕釧(わんせん)など煌びやかな装飾を着飾る菩薩形で表現されます。これは大日如来が如来の中の王であり、特別な存在であることを意味します。
大日如来は教義により金剛界と胎蔵界の2種類が存在します。金剛界の大日如来は手に智拳印を、胎蔵界大日如来は法界定印を結ぶので区別が可能です。
大日如来を象徴する三昧耶形は宝塔です。
大日如来の由来
大日如来を表すサンスクリット語のヴァイローチャナは、ヒンドゥー教の古代聖典『マハーバーラタ』に登場する太陽神でアスラ神族の王・ヴィローチャナと発音がほぼ一緒です。
紀元前800~500年頃の「ヴェーダ(聖典)」を編纂した『チャーンドーギヤ・ウパニシャッド』では、デーヴァ神族のインドラ(帝釈天)と宇宙の真理について学ぶため創造主プラジャーパティの元で修業した話が残されています。
そのため大日如来の性格を考えても、このアスラ神王・ヴィローチャナが大日如来の由来と見てよいでしょう。
大日如来の成立
大日如来が仏典として初めて登場するのはパーリ語文献の『サンユニッタ・ニカーヤ』で、これに相応する漢訳経典『雑阿含経』には「鞞盧闍那子婆稚阿修羅王(ヴァイローチャナは阿修羅の王である)」とされ、『チャーンドーギヤ・ウパニシャッド』とほぼ同じ内容が描かれています。
一方、大乗仏教の世界観を形成する際に参考にされたと考えられる『マハーバーラタ』では、ヴァイローチャナを太陽神としています。この太陽神の性格を仏教の開祖の釈迦になぞらえ釈迦を超える地位を与えたのが、紀元前後のインドの仏典を集め4世紀頃に成立した『華厳経』です。
『華厳経』では悟りを開いた存在として毘盧遮那仏(ヴァイローチャナ・ブッダ)が登場し、毘盧遮那仏の智慧の光で全ての衆生を照らす存在としています。この頃の大乗仏教の解釈では阿修羅王のヴァイローチャナでさえも仏教の教義に従えば仏陀として悟りを開けるとしています。
実際に6世紀後半に敦煌莫高窟に描かれた『盧遮那仏説法図』には、胸のあたりに須弥山が描かれた毘盧遮那仏と共に太陽と月を手にした阿修羅像が描かれ、阿修羅との関連性を示唆しています。また『華厳経』は後世に成立する密教への足掛かりとなる現世利益を肯定しています。
時代が下りインド仏教の密教化が進むと、太陽神の性格を持つ毘盧遮那仏は宇宙の中心的な存在に変化します。7世紀頃にインドで成立したと推定される『大日経(大毘盧遮那成仏神変加持経)』では毘盧遮那仏こそ釈迦の化身で、宇宙の真理を体現する諸仏の王という解釈が展開されます。
これによりヒンドゥー教では阿修羅族だったヴァイローチャナが阿修羅から完全に切り離され、密教の中心的な仏の地位を確立します。
大日如来と中国
5世紀頃に中国に『華厳経』が伝来すると、中国僧の杜順が『華厳経』の教義を元に華厳宗を開きます。原始仏教では呪術を禁忌しています。しかし『華厳経』では呪術による現世利益を肯定し、この世での利益を重視する当時の中国人の心をたちまち捉えます。
やがて唐代に中国史上唯一の女帝・則天武后が仏教に帰依し、彼女は都・洛陽郊外の龍門石窟に彼女の姿を模した巨大な毘盧遮那仏の石仏を建設します。また則天武后は護国鎮護の祈願のため全国に仏寺を建て、仏教が中国全土に浸透する礎を作ります。
大日如来と日本
大日如来と聖武天皇
日本で毘盧遮那仏が世間に知られたのは天平年間です。日本の金鐘寺(後の東大寺)の僧で聖武天皇の知遇を得ていた良弁が740年に唐に渡り、華厳宗の法蔵から『華厳経』を学んだ新羅の学生・審祥(じんじょう)に『華厳経』の講義を受けたことから始まります。
当時日本では疫病や飢饉が蔓延し、聖武天皇は仏教の力でこの状況を打破しようと考えました。聖武天皇は当時最新の仏教の教義である『華厳経』に説かれた毘盧遮那仏を、唐の則天武后の例に倣い金鐘寺(東大寺の前身)に建立する詔を発します。
これが奈良の大仏です。その大仏建立のため日本全国から人々が招集されたため、庶民の間で毘盧遮那仏の存在が知れ渡ります。
大日如来と空海
7世紀にインドで大日如来を宇宙の中心とする密教経典『大日経』が成立すると、725年にインドのマガダ国の翻訳僧・善無畏(ぜんむい)三蔵により中国に『大日経』が伝来します。
密教では人の苦痛や悩みの種となる事象を呪術により悉くかなえることで、現世への執着となる煩悩が消えこの世で成仏できる「即身成仏」を説きます。この内容は当時の中国仏教界では衝撃的でした。
この『大日経』を基にした密教を日本に持ち帰えったのが、真言宗の開祖・弘法大師空海です。帰国後空海は修行で現世で仏となり(即身成仏)、大日如来と同体化して大いなる力を発揮できると説きました。
空海は中国で学んだ最新の土木や医学を用いる時に必ず密教の加持祈祷を同時に行い、人々に大日如来の力で奇跡が起こったと錯覚させて多くの信者を獲得しました。こうして現代に至るまで、大日如来は日本の仏教界で最も知られる仏の一柱になりました。
大日如来のご利益
大日如来は全宇宙の真理を体現した仏なので、あらゆる願いを叶えます。また太陽の如き光明が煩悩や邪を払うため、魔除けのご利益も絶大です。
大日如来の真言
大日如来は金剛界と胎蔵界で真言が異なります。
金剛界
唵 嚩日囉駄覩 鎫
胎蔵界
南麼 三曼多勃駄喃 阿味囉(合+牛)缺
大日如来が安置されている主な寺院
奈良県 東大寺 毘盧遮那仏(国宝)
奈良県 円成寺 大日如来像(国宝)
大阪府 金剛寺 木造大日如来像(国宝)
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