千手観音 役割/仏像/由来/ご利益/寺院など詳しく解説

その他

千手観音って、どんな仏様?

千手観音とは

千手観音は大乗仏教の密教で信仰される菩薩に属する尊格で、その名前の通り千の手を持つ仏尊です。

サンスクリット語ではサハスファブジャ(Sahasrabhuja)と呼び、サハスラは数字の「千」、ブジャは「手」を意味し、千手観音はその漢訳です。その姿から十一面千手観音、千手千眼観音、千手千臂観音などとも呼ばれます。

千手観音は多面多臂の菩薩で、一つ一つの手のひらに一つの目を持ちます。『千手千眼大悲心経』によれば、その姿は衆生を隈なく見渡し、苦しむ衆生を悉く救済しようとする千手観音の大慈悲の現れであると説いています。

また千手観音は観世音菩薩の変化観音の一つとされ、六観音の一柱として餓鬼道の衆生を救済するとされます。さらに千手観音は衆生救済のため眷属として二十八部衆を従えるとされます。胎蔵界曼荼羅では千手観音は蓮華部に属し、蓮華部最勝の尊格とされています。

千手観音の仏像の見分け方

千手観音の仏像は実際に千本の腕があるものも存在しますが、作例としては稀です。

千手観音像の多くは十一面観音を母体とし、左右に20本ずつの腕と別途正面に2本の腕で合掌する四十ニ臂の千手観音像です。仏教の宇宙観では天上から地獄まで25の世界が存在するとされ、40本の腕は25の世界を救う象徴で、40×25=1000なので40本の腕で千手観音を表すと解釈されています。

また千手観音の持物は『千手千眼観世音菩薩大悲心陀羅尼』に細かく説かれ、日本の千手観音の仏像の多くがこの経典に倣って製作されています。

左手の持物

宝戟(ほうげき)、化仏(けぶつ)、宝鐸(ほうたく)、白蓮華(びゃくれんげ)、払子(ほっす)、羂索(けんさく)、日精摩尼(にっしょうまに)、不退金輪(ふたいこんりん)宝螺(ほうら)、玉環(ぎょくかん)、髑髏杖(どくろじょう)、紅蓮華(ぐれんげ)、傍牌(ぼうはい)、化宮殿(けくでん)五色雲(ごしきうん)、倶尸鉄鉤(ぐしてっこう)宝剣(ほうけん)、宝弓(ほうきゅう)、澡瓶(そうびょう)

右手の持物

錫杖(しゃくじょう)、化仏(けぶつ)、三鈷杵、青蓮華(しょうれんげ)、楊枝(ようじ)、数珠(じゅず)、月精摩尼(げっしょうまに)、如意珠(にょいじゅ)、経篋(きょうきょう)、宝印(ほういん)、蒲桃(ぶどう)、紫蓮華(しれんげ)、施無畏手(せむいしゅ)、宝鏡(ほうきょう)、宝篋(ほうきょう)、金剛杵(こんごうしょ)、鉞斧(えっぷ)、宝箭(ほうせん)、胡瓶(こびょう)

 

千手観音を象徴する三昧耶形は開蓮華で、聖観音の蓮華と対を成します。また蓮華上宝珠も千手観音の三昧耶形とされています。

千手観音の由来

千手観音はヒンドゥー教の三大神の一柱のシヴァ神が由来です。千手観音のサンスクリット語「サハスファブジャ」はシヴァ神の別名です。シヴァ神は「千の名を持つ神」として知られ、その名の一つつに「千の手」を意味するサハスラブジャがあります。

千手観音の成立

現在千手観音の経典として一般に流布しているのが唐の不空(705~774年)が漢訳した『千手千眼観世音菩薩大悲心陀羅尼』(略して『大悲心陀羅尼』)です。一方で同じ不空が漢訳した『青頸(しょうきょう)観自在菩薩心陀羅尼』があり、内容は『大悲心陀羅尼』とほぼ同じです。

むしろ『大悲心陀羅尼』が『青頸観自在菩薩心陀羅尼』から抜粋したと考えるのが妥当な内容です。この青頸観自在菩薩とはヒンドゥー教のシヴァ神です。

ヒンドゥー教の天地創造神話『乳海攪拌』に「シヴァ神が毒を飲んで首が青くなった」という逸話があり、シヴァ神にはニーラカンタ(「青い首」)という別名があります。またシヴァ神を意味するサンスクリット語の「シュヴァラ」の漢訳が「観自在」です。

『青頸観自在菩薩心陀羅尼』で説く青頸菩薩の持物は、インドのカシミール地方のシヴァ神像に多く見られる造形だということが知られています。カシミール地方はインドのアショーカ王時代(紀元前268~232年)に仏教が伝播し、西暦1世紀頃にはヒンドゥー教も同地で盛んに信仰されていました。

そのため『青頸観自在菩薩心陀羅尼』もこの頃に成立したと推測できます。シルクロードの中継地点の敦煌で発見された敦煌文書の中に、サンスクリット語とソグド語で書かれた『千ぼ手を持つ聖青頸観世音菩薩の名を説く陀羅尼』という写本が発見されています。

ソグド人はシルクロードで貿易を生業にしていた民族で、3世紀頃に敦煌付近で集落を形成し、11世頃まで同地で活躍していました。

仏教発祥の地であるインドにはこの頃制作された千手観音の像はほとんどなく、中国では唐の武徳年間(618~626年)に瞿多提婆(くたでいば)というインド僧が千手観音の絵を皇帝に献上した記録が初見です。そのため千手観音は3世紀から6世紀の間に西域※で成立したと考えられます。

※ 中央アジアのタミル盆地周辺諸国の総称

千手観音と日本

不空の『『大悲心陀羅尼』が中国国内で広まると、経典の内容を基に千手観音像が盛んに制作されました。日本の千手観音信仰は奈良時代に遡り、『東大寺要録』の741年の項目に、唐から帰国した留学僧・玄昉に関する記述として「千手経一千巻を写経した」とあります。

この前年に九州で藤原広嗣(ふじわらひろつぐ)の乱が起き、聖武天皇が鎮護にあたり全国の国分寺に観音菩薩を作らせ戦勝祈願したことが知られています。そのため千手観音の存在はこの頃に世間に知られたと見て良いでしょう。

日本最古の千手観音像と言われているのが、大阪葛井寺(ふじいでら)にある乾漆千手観音菩薩坐像(国宝)で、8世半の作とされています。これは『東大寺要録』の記述と時期が一致します。

千手観音の功徳について説いた『大悲心陀羅尼』は現在も天台宗や禅宗で読誦され、特に曹洞宗では『般若心経』と同じくらい頻繁に読まれている経典です。

千手観音のご利益

『大悲心陀羅尼』によれば千手観音の陀羅尼を唱えると、餓死や殺害などの十五種の死から免れ、寿命が延び、食料や財産が満たされ、地獄の苦しみから救われ、夫婦和合し、あらゆる罪が消えるとされています。

千手観音の真言

オン  斡嚩囉塔囉麻バザラタマラ 紇哩キリーク

千手観音が安置されている主な寺院

大阪府  葛井寺    乾漆千手観音菩薩坐像(国宝)
京都府  法性寺    木造千手観音立像(国宝)
奈良県  唐招提寺金堂 木心乾漆千手観音立像(国宝)
和歌山県 道成寺    木造千手観音立像(国宝)

コメント

タイトルとURLをコピーしました