白衣観音 役割/仏像/由来/ご利益/寺院など詳しく解説

コラム

白衣観音って、どんな仏様?

白衣観音とは

白衣観音(びゃくえかんのん/びゃくいかんおん)は大乗仏教の密教で信仰される菩薩に属する女性格の仏尊です。

白衣観音はサンスクリット語ではパーンダラカーシニー(Pandaravasini)と呼び、伴陀羅縛字尼、半拏囉悉寧、跛拏縛悉尼と音写されます。サンスクリット語で「白い住処」という意味があり、『大日経疏』では「白処」と漢訳されました。また白処菩薩、白処観音と表記されることもあります。

これから白蓮華の中にいる白い服をまとった観音という解釈がされ、白衣観音、大白衣観音と漢訳されました。

白衣観音は胎蔵界曼荼羅の観音院で白蓮華の中にいる仏母として第三列七位の場所に描かれます。中世以降、『法華経』の「観世音菩薩普門品」に説かれる観世音菩薩の三十三化身で六番目の比丘尼※の姿が白衣観音であると解釈されます。

また白衣観音の白は聖潔、善行、空を表すとされ、清浄な菩提心を象徴する観音とされています。さらに中国では元代に極楽往生を願って『阿弥陀経』を唱えた者の元へ白衣観音が現れたという伝承が民衆に広がり、阿弥陀如来の脇侍として勢至菩薩と共に描かれています。

※比丘尼は女性の修行僧のこと。

白衣観音の仏像の見分け方

白衣観音の仏像は白い頭巾を被り白衣をまっとった一面二臂の女性像で表現されます。経典により持物が異なり、『観世音現身種々願除一切陀羅尼』では手に蓮華、浄瓶を持つとされ、一般的にこのタイプの仏像が多く作られます。

また白衣観音は①左手に蓮華、右手に与願印、②右手に般若心経入った篋、左手に棒あるいは羂索、③右手に施無畏印、左手に開花蓮華、④右手に柳枝、左手に宝剣を持つものと、その表現は様々です。

白衣観音を象徴する三昧耶形は鉢曇摩花です。

白衣観音の由来

シヴァ神(中央左)とパールヴァティー(中央右)

白衣観音のヒンドゥー教の三大神の一柱・シヴァ神の妻パールヴァティーが由来と考えられます。サンスクリット語は一つの単語で様々な意味を持つ言語で、パンダーラは「白」、ガシーニーは「住処」と漢訳されましたが、実はガシーニーは「愛人」という意味もあります。

仏教の観世音菩薩はシヴァ神が由来で、その妻の一人がパールヴァティーです。パールヴァティーは慈愛と狂暴の二面性を持つ女神であり、それぞれの面で複数の別名を持っています。パールヴァティーの慈愛面の別名の一つにガウリーがあり、「白く輝く者」という意味があります。

またガウリーは豊穣の女神の側面があります。さらにパールヴァティーの持物は蓮華で、これも白衣観音と共通しています。

白衣観音の成立

白衣観音の陀羅尼は唐の不空訳『十一面観音菩薩秘密心経語建立道場儀軌』や、善無畏(ぜんむい)訳『大毘盧遮那成仏変化経』で見られます。これらの経典は7世紀末インドで密教が誕生した時期と重なり、この頃仏教の尊格としえヒンドゥー教のパールヴァティーを取り込んだと考えられます。

一方で、日本で見られる白衣観音の姿は中国で成立したものです。中国で唐・宋代に不思議な話を集めた伝奇小説が庶民の間でもてはやされると、夢に白い衣を着た観音が現れるといった話が数多く掲載されます。

当時の中国は織物技術が飛躍的に向上し、現在一般的に見られる貴婦人のような衣を着た白衣観音像が盛んに作られました。

白衣観音と日本

日本で白衣観音が広く知れ渡るのは、白衣観音が生まれた密教ではなく禅宗からです。白衣観音の像が民間で盛んに作られた宋代に、禅の教えを求め日本から多くの留学僧が中国に渡りました。

中国の禅寺では白衣観音の白衣が瞑想の境地で現れる清澄な境涯の象徴とされたため、帰国後も禅画や水墨画の題材として盛んに描かれました。

また白衣観音は一切苦悩を吉祥に変え、さらに消災や延命、平安、安産を授けるご利益が経典に説かれているため、子供の死亡率が高かった時代に女性たちの間で信仰の対象となりました。

白衣観音のご利益

『白衣観音神咒』を唱えると無病息災、煩悩が消え、罪が清められるとされます。また女性の観音様なので子宝安産、縁結びにご利益があるとされます。

白衣観音の真言

オン 濕吠帝シベイテイ 濕吠帝シベイテイ 半拏囉ハンダナラ 嚩悉儞バシニ 娑嚩訶ソワカ

南麼ナーマク 三曼多サンマンダ 勃駄喃ボダナン 怛他蘗多タータギャタ 微灑也ビシャヤ 三婆吠サンバベイ 鉢曇摩ハンドマ 摩履儞マリニ 莎訶ソワカ

白衣観音が安置されている主な寺院

京都府  満福寺   白衣観音坐像
群馬県  慈眼院   高崎大白衣観音
神奈川県 大船観音寺 白衣観音像
宮城県  大観密寺  白衣観音像

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