烏枢沙摩明王 役割/仏像/由来/ご利益/寺院など詳しく解説

コラム

烏枢沙摩明王って、どんな仏様?

烏枢沙摩明王とは

烏枢沙摩明王(うすさまみょうおう)は大乗仏教の密教で信奉される明王に属する尊格です。

サンスクリット語ではヴァジュラ・クロダ・マハバラ・ウッチュシュマ(Vajra Krodha Mahābala Ucchuṣma)と呼び、烏枢沙摩はウッチュシュマの音写です。そのため烏枢瑟摩、烏蒭沙摩、烏瑟娑摩、烏枢沙摩などとも表記されます。

ヴァジュラ・クロダ・マハバラ・ウッチュシュマの本来の意味は「偉大な強さで激怒する炎神」で、その性格や性質から経典により穢跡(わいせき)金剛、受触金剛、火頭金剛、不壊金剛、不浄金剛、厠神などと漢訳されます。

烏枢沙摩明王について説いた経典『穢跡金剛說神通大滿陀羅尼法術靈要門(わいせつこんごうせつじんつうまんだらにほうじゅつれいようもん)』によれば、

「釈迦が涅槃に入る時に皆悲しみに耽る中、螺髻梵王(らけいぼんおう)だけが天女と遊び惚け釈迦の元に参じなかった。如来や菩薩が馳せ参じるように促すものの、糞尿(不浄)の山城を築き中に引き籠ってしまった。

そこで穢跡金剛が螺髻梵王の元へ赴き、不壊金剛(烏枢沙摩明王)に化身して神呪を唱えると大地震が発生して城は崩れ去り、不浄も大地に戻ってしまった。螺髻梵王は改心し釈迦の元に馳せ参じることに応じた」と説いています。

烏枢沙摩明王は密教の尊格なので、日本では真言・天台両宗派で信仰されています。天台宗では五大明王の一柱として金剛夜叉明王に代わり信奉することがあり、そのため烏枢沙摩明王と金剛夜叉明王が同体か別尊かで議論が分かれています。

また、あらゆる不浄を焼き祓い清浄をもたらす神なので、禅宗や日蓮宗でも信仰されています。

烏枢沙摩明王の仏像の見分け方

烏枢沙摩明王の仏像は一面二臂から三面八臂まで様々ですが、日本では一面四臂像が一般的です。

8世紀の唐代に北インドの翻訳僧・阿質達霰(サンスクリット語でアジサセーナ【Ajitasena】)が漢訳した『大威力烏枢瑟摩明王経』では、烏枢沙摩明王は忿怒の形相で赤目、体は青黒く炎を挙げ、四本の腕で右の二手に剣と羂索、左の二手に打車棒と三叉鉾を持つとされています。

烏枢沙摩明王の由来

烏枢沙摩明王のサンスクリット語「ウッチュシュマ」はヒンドゥー教の炎神アグニの別名が由来です。もともと「ウッチュシュマ」とは物が炎で燃えている時の表現で、「パチパチと音を立てる者」という意味です。

このアグニは世界最古の宗教、ゾロアスター教に登場するアタールが起源です。アタールは世界を邪悪から守る勇敢な戦士とされています。古代インドではアグニは非常に重要な神で、全てのエネルギーにはアグニが内在していると考えていました。

紀元前12世紀頃の編纂とされる『リグ・ヴェーダ』には、アグニを讃える歌が仏教で帝釈天とされるインドラの歌に次いで多く著録されています。アグニの彫像は紀元前1世紀頃に製作されたものが存在し、グプタ朝期に制作された彫刻にはアグニ像の周囲に火炎を描いています。

しかし古代インドのバラモン教からヒンドゥー教が成立しシヴァ神やヴィシュヌ神が人々の間で人気になると、アグニの地位は一気に低下します。グプタ朝期に成立したと推定される『マハーバラータ』では、方位十二神(ローカパーラ)の一柱として東南を司る守護神にまで地位が低下します。

烏枢沙摩明王の成立

烏枢沙摩明王に関する経典は『大威力烏枢瑟摩明王経』3巻、『穢跡金剛說神通大滿陀羅尼法術靈要門』1巻、『穢跡金剛禁百變法經』1巻があり、これらは全て北インドの翻訳僧・阿質達霰が漢訳したとされています。

阿質達霰は唐の開元年間(713~741年)に安西大都護府(現在のトルファン市周辺地域)で経典の翻訳をしていた記録があります。しかし唐の都に上洛したことは無く、その詳細は不明です。

これらの経典は安西大都護府でも仏教を修行してきた東インドの翻訳僧・法月三蔵が、開元18年(732年)に唐の都長安で皇帝に献上したとされています(795年編纂『続開元釈教録』より)。

しかしこれらの経典の名は730年編纂の仏教経典目録『開元目録』には無く、800年編纂の『貞元新定釈教目録』でようやく見られます。さらに経典に記された護符類も大変怪しいもので、現在中国国内では完全に偽経と見なされています。

一方で、烏枢沙摩明王の由来のアグニは大乗仏教で四天王崇拝が始まった頃に、火天の名で仏教の護法善神に取り込まれています。そのため烏枢沙摩明王は8世紀頃にアグニの別名のウッチュシュマの名を宛がい、より強力な明王の形で西域※或いは中国で成立した仏様と考えられます。

※ 古代中央アジアのタリム盆地の周辺諸国の総称

烏枢沙摩明王と日本

日本で知られる烏枢沙摩明王の経典は真言密教系の典籍に多く、空海が密教を請来した際に日本に伝来したと考えられます。一方で、天台密教の修法「五壇法」で使用する五大明王像※では北方の金剛夜叉明王に代わり烏枢沙摩明王を配すことがあります。

また『穢跡金剛咒』の真言を唱えて得られる烏枢沙摩明王の功徳には「子息易得(男子を得やすくなる)」があり、平安時代以降、天台密教で男子出生を祈願する修法「烏枢沙摩変成男子法」が数多く執り行われています。

さらに日本の諸宗派を生んだ天台宗で烏枢沙摩明王が重要視されたこともあり、浄土宗では殺生を戒める放生会(ほうじょうえ)で「烏枢沙摩明王解穢神呪」を唱え、禅宗や日蓮宗では烏枢沙摩明王が不浄を焼き祓い清浄に変える力があるため東司(とうす、トイレの意味)に祀っています。

※五大明王は不動明王、大威徳明王、金剛夜叉明王、降三世明王、軍荼利明王を指します。

烏枢沙摩明王のご利益

烏枢沙摩明王のご利益は非常に多く、烏枢沙摩明王の真言を唱えると煩悩や欲を取り除き、智慧と福徳を与え、病魔を祓い、寿命を延ばし、悪事や盗賊から逃れ、男子を得やすくなり、信奉する本尊を夢に見られるとされます。

烏枢沙摩明王の真言

オン 俱嚕陀耶吽弱クロダヤウンジャク 娑訶ソワカ

烏枢沙摩明王が安置されている主な寺院

静岡県 可睡斎 烏蒭沙摩明王像

東京都 海雲寺 烏瑟沙摩明王像

東京都 東光寺 烏瑟沙摩明王像

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