金剛夜叉明王って、どんな仏様?
金剛夜叉明王とは
金剛夜叉明王は大乗仏教の密教で信奉される明王に属する尊格です。サンスクリット語ではヴァジュラヤクシャ(Vajrayakṣa)と呼び、日囉藥乞酒と音写します。サンスクリット語のヴァジュラとはヒンドゥー教の軍神インドラの雷を放つ武器「金剛杵」を意味します。
またヤクシャとはインド神話で人を食らう鬼神のことで、夜叉はこのヤクシャの音写です。金剛夜叉明王はあらゆる悪や邪心を食らい尽くすとされ、経典により金剛尽、金剛啖食、金剛焔口明王、大黒明王、金剛藥叉などと漢訳されます。
密教では金剛夜叉明王は不動明王と同じ五大明王の一柱で、北方を司り不空成就如来の化身とされます。
金剛夜叉明王の仏像の見分け方
金剛夜叉明王の仏像は三面六臂で、三面の顔は人の基本的な煩悩である貪(どん)・瞋(しん)・癡(ち)の三毒を食らうことを象徴しています。
また正面の顔は五眼、左右の顔は三眼を有し、頭髪は馬王髻、肌は黒色で珠玉を身にまとい、腕には五鈷杵、金剛鈴、弓、矢、剣、法輪を持ちます。体の周りは火炎で覆われ、左右の脚で蓮華の上に立つ姿で表現されます。
金剛夜叉明王を象徴する三昧耶形は羯磨輪(かつまりん)です。
金剛夜叉明王の由来
金剛夜叉明王はその名が示す通り、古代インドの鬼神ヤクシャが由来です。ヤクシャはインド最古の聖典『リグ・ヴェーダ』にも記述がある古い神で、森の神として人に恩恵を与える慈悲深い善神の面と、旅人を喰らい尽くすという鬼神の面を持ち合わせます。
後にヤクシャはヒンドゥー教三大神の一柱シヴァ神の従者と位置付けられました。一方でヤクシャは仏教で護法善神の夜叉として当初低い地位の尊格で取り込まれます。
仏典『金剛峯楼閣一切瑜伽瑜祇経(こんごうぶろうかくいっさいゆがゆききょう)』によると、ヤクシャは大日如来の威徳で改心し、敢えて忿怒神として一切諸悪を喰らうことを誓ったとされます。
そのため本地は真言密教で大日如来の後を継いだとされる金剛薩埵(こんごうさった)、菩薩形が金剛薬叉菩薩、明王形が金剛夜叉明王としています。
金剛夜叉明王の成立
金剛夜叉明王の真言は翻訳僧・鳩摩羅什(344~413年)が漢訳したとされる『仁王護國般若波羅蜜經二巻』と、南インドの翻訳僧で唐の金剛智(中国滞在は720~741)訳『金剛藥叉瞋怒王息災大威髪験念誦儀軌(こんごうやくしゃしんぬおうそくさいだいいはつけんねんじゅぎき)』『金剛峯楼閣一切瑜伽瑜祇経』に記載があります。
ただし、この中『仁王護國般若波羅蜜經二巻』は中国後梁時代(502~557年)の偽経と見なされ、実際の成立時期も不明です。
一方で金剛智は金剛界曼荼羅の典拠となる『金剛頂経』を中国に伝えた人物で、自身も仏教最古の大学のナーランダ寺院で出家し、南インドでは国王が庇護した高僧です。中国でも国師として迎えられ仏典の翻訳事業に携わっています。
そのため金剛夜叉明王はインド密教が成立する6世紀に、夜叉を元に明王として再構築した仏様と考えられます。
金剛夜叉明王と日本
金剛夜叉明王は他の五大明王と共に空海が請来したと考えられています。金剛夜叉明王の修法『金剛夜叉法』には難を取り除き官職が得られることが説かれており、戦争に勝って官位を得たい武士たちの間で戦勝祈願の仏として信奉されました。
また天台密教の図解書『阿娑縛抄(あさばしょう)』にも『金剛夜叉法』が戦などで敵を調伏する修法として紹介されています。
金剛夜叉明王のご利益
『金剛峯楼閣一切瑜伽瑜祇経』では金剛夜叉明王を信奉すると煩悩や罪が消え、敵を調伏し、災いが除かれ、財宝が得られるとされています。
金剛夜叉明王の真言
唵 嚩日囉藥乞叉 吽
金剛夜叉明王が安置されている主な寺院
京都府 東寺 乾漆金剛夜叉明王立像(国宝)
京都府 醍醐寺 木造金剛夜叉明王像(重量文化財)
三重県 常福寺 木造金剛夜叉明王像(重要文化財)
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