七福神のご利益とは?由来や特徴、見分け方など詳しく解説

コラム

七福神のご利益や由来とは

七福神とは

七福神とは恵比寿、大黒天、毘沙門天、弁才天、布袋、福禄寿、寿老人の7柱※の福の神の総称で。日本の神道、インドの仏教、中国の道教と3つの宗教の神様からなる連合体です。それぞれどの宗教の神様で、どのような特徴があるか神様ごとに説明します。

※柱は神様を数える時の数詞です。

恵比寿

恵比寿は七福神の中で唯一、純粋な日本の神道の神様です。

恵比寿の姿

恵比寿は満面の笑みを浮かべる小太りの中年男性で、平安時代の公家の普段着である狩衣(かぎぎぬ)を羽織り、頭に烏帽子を被り、右手に釣り竿、左脇に大きな鯛を抱える姿で表現されるのが一般的。また耳は耳たぶが大きく垂れた福耳で、あご髭や口髭を生やしていることもあります。

恵比寿の由来

釣り竿と鯛で分かるようにもともと海の神様で、漁民に大漁をもたらす神として信仰されました。大漁の魚は漁民に副収入を与えてくれるので福の神、また魚は市場の交易品なので商売繁盛の神になりました。

また日本の一部の地域では神無月に各国を収める国津神が出雲大社に集結する中、恵比寿はその国の留守を預かる神として出雲には出向かないとされており、このことから家内安全の神とされています。

恵比寿のご利益

恵比寿は大漁追福、航海安全、商売繁盛、除災招福、縁結び、一攫千金にご利益があります。

 

大黒天

大黒天はもともと仏教由来の神様です。しかし七福神の大黒天は日本の神道の神様である大国主神と仏教の大黒天が習合した神様です。

大黒天の姿

大黒天の姿は恵比寿と同じく笑みを浮かべた小太りの中年男性で、狩衣を羽織り、頭には烏帽子を被り、右手に打ち出の小槌、左手に大きな袋を携えます。

また顔も恵比寿と同じく耳は耳たぶが大きく垂れた福耳で、あご髭や口髭を生やしていることもあります。さらに大黒天は米俵を足元に敷き、ネズミを使いとしています。

大黒天の由来

大黒天はもともとヒンドゥー教で破壊と創造の神・シヴァ神が仏教に取り込まれた戦闘の神様ですが、やがて台所の守護神としてインド、東南アジア、中国で信仰されました。日本には天台宗の開祖・最澄が請来し、中国での信仰と同様に台所の神様として祀っています。

この大黒天は七福神の毘沙門天と弁才天が一体化した三面大黒天で、現在も比叡山延暦寺に祀られています。このように大黒天は台所の神様ですが、大黒天の名が世間に知れ渡ると、神道の大国主神の「大国」が「だいこく」と読めることから大黒天の混同が起こります。

大国主神は農業と医療の神様だったため、台所の食を満たす大黒天は五穀豊穣の神様に。また恵比寿と同様に農産物は市場の交易品なので商売繁盛の神様になりました。また恵比寿は大国主神の息子とされていたので、大黒天と恵比寿を二体一組で祀ることもあります。

大黒天のご利益

大黒天は五穀豊穣、商売繁盛、金運招来の他、仏教では戦闘神だったため勝負運やギャンブル運、米俵に乗った大黒天のシルエットが男根に見えるので夫婦和合や子孫繁栄、縁結び、大国主神の性格から病気平癒のご利益があります。

 

毘沙門天

毘沙門天は仏教由来の神様です。

毘沙門天の姿

毘沙門天は筋骨隆々で忿怒相の青年で中国風の甲冑と天衣をまとい、右手に三叉戟と呼ばれる三つ又の槍、左手に仏塔を持つ武人の姿で表現されます。

毘沙門天の由来

数いる仏教の神様の中で毘沙門天が七福神に選ばれたのは、大黒天の項でも触れているように三面大黒の一柱として天台宗で信仰されたためです。

毘沙門天はもともとヒンドゥー教で鬼神とさるクーベラが由来。クーベラは大黒天の前身であるシヴァ神の親友で、シヴァ神の財宝を守護する神様です。やがて仏教で須弥山の北方を守護する武闘神として取り込まれます。実は毘沙門天と須弥山を守護する四天王の多聞天は同じ神様です。

中国では毘沙門天を城の北方を守る守護神として単独で崇拝したため、日本でも毘沙門天を四天王から切り離して信仰されました。

毘沙門天のご利益

毘沙門天はその姿からも分かるように勝負運、またあらゆる邪気を払うため厄除開運、本来の財宝の神様として金財運、また商売敵に打ち勝てるので商売繁盛にご利益があります。

 

弁才天

弁才天は七福神唯一の女性の神で、仏教由来の神様です。

弁才天の姿

弁才天はうら若く美しい女性で、中国唐代の貴族の女性の服を着て天衣をまとった天女の姿で表現されます。また手には楽器の琵琶を携えます。さらに弁才天は白蛇を使いとしています。

弁才天の由来

弁才天はもともとインドのヒンドゥー教の川の女神サラスバティーが前身です。川は肥沃な土をもたらすので豊穣の女神として信仰されていました。この女神はた琵琶に似たヴィーナと呼ばれる楽器を持ち、音楽や智慧、言葉の神とされています。

さらに古代インドでは川は龍や蛇に喩えられていたので、弁才天と蛇の由縁は相当昔から。やがてサラスバティーが仏教に取り込まれ中国に渡ると、言葉の神なので「弁才天」と呼ばれるようになりました。日本で最澄が三面大黒の一柱に弁才天を採用したため、世間にも存在が知られるようになります。

さらに平安時代の琵琶の名手である藤原師長が弁財天を信仰したため、音楽や芸術の神様として定着します。江戸時代になると弁才天の「才」がお金を表す「財」に通じるため、金運や商売繁盛の神様としてもてはやされました。

弁才天のご利益

弁才天は技芸上達、金運招来、知恵向上、学業成就、弁舌の他、唯一女性の神様なので、恋愛成就や子宝、子孫繁栄のご利益があります。また意外と知られていませんが、仏教では弁才天は武闘神としても登場し、勝負運や厄除、延命長寿にもご利益があります。

 

布袋

布袋は仏教由来の神様で、七福神の中で唯一実在の人物です。

布袋の姿

布袋はお腹の大きな中年男性の禅僧の姿で、顔は満面の笑みを浮かべ耳は耳たぶが垂れた福耳、常に大きな袋(頭陀袋【ずだぶくろ】)を背負い、お腹は常に上着からポッコリはみ出ています。日本ではこの袋を「堪忍袋」と呼ぶことがあります。また手に唐扇や杖、瓢箪を持つことがあります。

布袋の由来

布袋は唐末~後梁時代に明州の奉化(現在の浙江省寧波市)にいたとされる禅僧で、本名は契此(かいし)。布袋の伝記は宋代に編纂された『高僧伝』に掲載されています。

人に物乞いして得た物は全て袋の中に入れて持ち歩き、住居を定めず常に野外で寝ていたとされます。また夜に雪が降っても寝ている布袋の上には雪が積もらず、さらに人の吉凶を言い当てるなど不思議な力を持っていたと言われています。

布袋は死に際に「彌勒真彌勒 分身千百億、時時示時分 時人自不識(弥勒は真の弥勒にして分身千百億なり、時時に時人に示すも時人は自ら識らず)」という辞世の句を残したため、布袋は弥勒菩薩の化身だったとの伝承が生まれ、以後中国で弥勒菩薩の仏像は布袋の姿で表現することが一般化しました。

日本で鎌倉時代に禅宗が盛んになると、禅画の画題に布袋を描くことが流行します。やがてその福与かで満面の笑みを浮かべる布袋の姿が富貴繁栄をもたらす福の神として信仰されるようになりました。

布袋のご利益

常に笑顔の布袋は富貴繁栄や夫婦円満、縁結び、敬愛和合など人間関係を良好にするご利益があります。また弥勒菩薩の化身となったことで立身出世や福徳開運、禅画で子供と一緒に遊ぶ姿が良く描かれたたため子供の安全にご利益があります。

 

福禄寿

福禄寿は中国の道教由来の福の神です。

福禄寿の姿

福禄寿は背が低く、頭は縦に長くつるっ禿、長い白髪の顎鬚を生やした老人の姿をしています。ただし顔は赤子のように艶々。また手には巻物の括り付けた杖と、食べると不老長寿をもたらす桃を持ち、鶴を従えています。

福禄寿の由来

右から福星、禄星、寿星

福禄寿はもともと道教で信仰されていた天体の福星、禄星、寿星の三星を神格化した神です。

当時の中国で人生における幸福と、子供に恵まれ家が栄えることを「福」、科挙に受かり出世して財を築くことを「禄」、病気をせず長寿を全うすることを「寿」と呼び、星に向かって願うことでそれぞれの幸福が叶うと考えられていました。

中国では三星は別人格を持った神様として個々に表現され、絵画などに盛んに描きました。この中で日本の福禄寿のモデルは寿星を神格化した南極老人です。中国では明代に三星に対する信仰が流行し、室町時代に日明貿易が盛んになると日本でも三星の存在が知られるようになります。

ただし日本では道教は仏教ほど馴染みがが無く、三神一体で描かれる絵画はちょうど三尊仏の仏画に見えたと思われます。そのため最も年老いて見える南極老人が本尊で、福星と禄星はその脇侍と考えたことは容易に想像できます。やがて南極老人だけが福禄寿として信仰されたと推測できます。

福禄寿のご利益

福禄寿はその名の通り金運招財、福徳円満、子孫繁栄、立身出世、長寿延命などのご利益をもたらしてくれます。

 

寿老人

寿老人は福禄寿と同じ中国の道教由来の神様です。

寿老人の姿

寿老人は仏教で僧侶にあたる道教の道士の姿で表現されます。頭に道帽という帽子を被り、道服と呼ばれる唐衣をまとい、長い白髪の髭と眉を蓄えた老人の姿をしています。また手に杖を突き、もう一方の出で唐扇や桃、瓢箪を持つことがあります。また鹿と一緒に描かれるのが一般的です。

寿老人由来

寿老人は福禄寿と混同されることが多く、名前からも分かるように福禄寿の「寿」の面だけが強調された福の神です。

寿老人と一緒に描かれる鹿は、中国語で「禄」と同じ発音で、実は福禄寿の三星の中、禄星を神格化して描く際に一緒に描かれる動物です。ただし絵で描かる禄星は威風堂々とした官僚姿の中年男性で、寿老人のモデルとするには少し不自然です。

後述しますが、七福神が宝船に乗る絵が描かれますが、これは中国の民間信仰で八仙人が船に乗って蓬莱山に向かう『八仙渡海図』がモデルと言われています。この絵は七福神と似ているところが多く、8人の中1人は女性です。また腹を出した恰幅が良い鍾離権という仙人は布袋の姿とダブります。

この八仙人の中に張果老という驢馬に乗る白髪の老人姿の仙人がおり、漁鼓という竹で出来た細長い琴を持ち歩いています。絵画で描かれる張果老は寿老人の姿とかなりの部分で被ります。また張果老は不老長生の丹薬を開発し、唐の玄宗皇帝の時代には既に三千歳を超えていたという逸話があります。

このことからも寿老人は福禄寿から分化した神ですが、その姿は張果老がモデルだと推定できます。

ネットでは辞典からの出典で民俗学者・竹内利美の宋代の実在の人物説が流布していますが、具体的な人名がなく、筆者が調べる限り宋代に寿老人なる人物は存在しません。福禄寿のモデルの寿星や禄星の神格化は既に漢代の『史記』に記載され、資料が少ない時代の推論に過ぎず恐らく間違いです。

寿老人のご利益

寿老人は不老長生。健康長寿、諸病平癒、功名富貴、学業成就などにご利益があるとされます。

なぜ福の神が七柱なの?

 

なぜ福の神が七柱なの?

もともと恵比寿や大黒天は単独で祀られていました。鎌倉時代に庶民にまで仏教が浸透すると、寺院で本尊を両脇に脇侍が侍る三尊仏の形式で祀っていることから三体の神を同時に祀ることが人々の間で流行します。

室町時代に文人の間で中国の老荘思想が源流の清談が流行すると、その象徴として『竹林七賢図』が大変もてはやされました。また『仁王般若経』の中に、「七福促進 七難減退」との一文があることから、七柱の福の神を選び信奉しその福を授かる風習が生まれました。

このころすでに恵比寿、大黒天、毘沙門天、布袋は福の神として定着していました。また弁才天と吉祥天は混同されることが多く、弁才天が定着するのは江戸時代に入ってからです。また福禄寿や寿老人が七福神に入ったのは室町時代末期ごろと推定されています。

七福神と宝船

七福神は良く宝船に乗った絵で表現されます。もともと室町時代に船を描いた絵を除夜の日に枕元に置いて寝ると、船がその年の厄を乗せて流してくれ心機一転して翌年を迎えられるという風習がありました。

江戸時代になると正月の二日に見る夢を初夢とし、「一富士二鷹三茄子」で知られるように縁起の良い初夢を見ると一年を幸福に過ごせるという俗信が生まれました。

江戸時代は木版画販売が商売とし成立しています。もともと一年の厄を流すために描いていた船の絵に縁起の良い七福神と金銀財宝を乗せて宝船とし、「なかきよの とおのねふりの みなめさめ なみのりふねの おとのよきかな(長き夜の 遠の眠りの 皆目覚め 波乗り船の 音の良きかな)」という回文(前から読んでも後ろから読んでも同じ文面になる文章)を添えた版画を、良い初夢を見るための開運アイテムとして盛んに売られました。これにより一般庶民の間で七福神と言えば宝船のイメージが定着しました。

ちなみに寿老人の項で既出の『八仙渡海図』は中国の元唐明初に成立していたと考えられています。日明貿易や朱印船貿易で『八仙渡海図』が描かれた絵画や文物は日本の文人の間では既知の存在だったため、七福神と宝船の構図は『八仙渡海図』がモデルだったことは想像に難くありません。

七福神巡り

江戸時代に七福神信仰が庶民に一般化すると、そのご利益にあずかろうと七福神の神を祀る寺社が現れます。もともと神仏習合で恵比寿、大黒天、毘沙門天、弁才天は神社や仏寺で祀られており、布袋も弥勒菩薩の化身なので仏寺で祀ることに違和感はなく、ご利益があれば八百万の神を信仰する日本人に福禄寿や寿老人が寺社に受け入れられるのも至極自然なことでした。

江戸時代にはこれら七福神を祀る寺社を巡り様々なご利益を授かる「七福神巡り」が龍恋牛ました。7柱だけめぐる場所が少なく、早ければ半日、長くても二日程度で巡れる七福神巡りは庶民の手軽なレジャーとして浸透し、瞬く間に日本各地の寺社で七福神の神々が祀られ、地域ごとの「七福神巡り」が誕生しました。その数は全国で200とも300ともいわれています。

ただし、福禄寿と寿老人は同じ神様という認識は当時からもあり、寿老人の代わりに猩々や達磨、福助、不動明王、愛染明王、白髭明神などと入れ替わる場合があります。また弁才天と吉祥天は混同されることも多く、弁才天の代わりに吉祥天を入れる場合もあります。

ネットを検索すればお近くでも七福神巡りを実施している寺社があるので、七福神の縁起開運のご利益を授かりたい方はぜひ試してみてはいかがでしょうか。

七福神の真言

七福神が民間に浸透すると真言宗系の寺院でそれぞれの福の神に真言(呪文)が与えられ、参拝の際に福の神の前でその真言を七回唱えるとご利益が得られるという風習が生まれます。それぞれの真言は以下の通りです。

恵比寿  ・・・ おん いんだらや そわか

大黒天  ・・・ おん まかきゃらや そわか

毘沙門天 ・・・ おん べいしら まんだや そわか

弁才天  ・・・ おん そらそばていえい そわか

布袋尊  ・・・ おん まいたれいや そわか

福禄寿  ・・・ おん まかしり そわか

寿老人  ・・・ おん ばざらゆせい そわか

大黒天と毘沙門天、弁才天はもともと仏教の仏様なので真言は存在します。布袋は弥勒菩薩の化身なので弥勒菩薩の真言が当てられました。一方で恵比寿、福禄寿、寿老人は仏教の神ではありません。

恵比寿は帝釈天の、福禄寿の「福・禄・寿」は吉祥なので吉祥天の吉祥を意味する「まかしり」から、寿老人は長寿をもたらす仏様の延命普賢菩薩の真言が用いられています。七福神参りの際は、ぜひそれぞれのご真言を唱えご利益をお授かりください。

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