鬼子母神 役割/仏像/由来/ご利益/寺院など詳しく解説

コラム

鬼子母神って、どんな仏様?

鬼子母神とは

鬼子母神(きしもじん /きしぼじん )は大乗仏教で信奉されている天部に属する女性格の護法善神です。サンスクリット語ではハーリーティ(Hārītī)と呼び、訶梨帝母(かりもてい)、訶利底、釈利帝と音写されます。

サンスクリット語の本来の意味は「青色」「青い衣」ですが、仏教の故事でハーリーティは五百人の子供を産んだ羅刹(鬼)女なので、中国で数が多い意味を持つ数字の「九」を宛がい九子鬼母と漢訳され、やがて「鬼(羅刹)の子供たちの母」を意味する鬼子母神と呼ばれるようになりました。

鬼子母神は毘沙門天の部下の夜叉・般闍迦(はんじゃか、サンスクリット語でパーンチカ)の妻で、彼との間に500人の子供をもうけたとされます。仏説では

「鬼子母神は自分の子に乳を与えるため、日々人の子をさらい食べていた。これを嘆いた釈迦は彼女がいぬ間に最愛の子を隠した。鬼子母神は愛する子供が見つからないことを嘆き悲しみ、最後に釈迦にすがると子を失った母の気持ちを諭された。以後仏教に帰依し子供の守護神となった」

とされます。日本ではこの時に釈迦から人肉の味が忘れられないなら同じ味がする柘榴を食するように勧められたとされていますが、俗説です。鬼子母神が所持するのは吉祥果で確かに柘榴と推定されますが、柘榴は種子が多く一粒一粒が宝石のように見えるので子孫繁栄や魔除けの象徴とされます。

鬼子母神の仏像の見分け方

鬼子母神の仏像は日本伝来当初は唐風の漢服を着た女性型の貴人像で表現され、右手に吉祥果(日本では柘榴)、左手に赤子を抱きかかえる天女形が一般的でした。

しかし、日蓮宗で鬼子母神が信仰されるようになると、元々「鬼(夜叉)」であったことが強調され、頭に角が生えて唐服を着た「鬼形」の仏像が多く作られます。

さらに時代が下り子宝安産の神として親しまれると、一般女性と同じ和服を着た「和装形」の鬼子母神像が作られています。

鬼子母神の由来

鬼子母神の由来はギリシャ神話の地母神テュケーとの関連が示唆されています。紀元2世紀頃と考えられるパキスタンの仏教遺跡タフテ・バヒーにから、ハーリーティとその夫パーンチカ(般闍迦)とされるガンダーラ仏が多数出土しています。

ガンダーラで出土したパーンチカとハーリテーィ像(左)と、ギリシア彫刻のコルヌコピア(右)

ガンダーラ仏はこの頃同地に移住したギリシャ人が製作しています。このハーリーティの手にはテュケーの所有物で「豊穣の角」コルヌコピアを抱え、子供たちに囲まれています。ギリシャ遺跡のテュケー像も子供たちに囲まれた姿で表現されることが多い女神です。

また夫のパーンチカは古代仏教では財宝神の毘沙門天の部下とされ、自身も宝石の神と崇められていました。パーンチカは毘沙門天の前身で古代インドの財神クーベラがモデルだった考えられます。

ヘレニズム時代、この地域はギリシャと交易があり、テュケーが刻まれたコインも流通していました。そのため、この2柱の夫婦神は財運と幸運、子宝といった家運隆盛を司る神だった考えられます。

クシャーナ朝時代(1~3世紀)、パーンチカ・ハーリーティ信仰が盛んで、やがてハーリーティが抱えていたコルヌコピアが子供に変わり、子供を抱えた単独のハーリーティ像が数多く作られました。

仏教説話では鬼子母神は吉祥果を持つとされていますが、コルヌコピアの角の中は花と果物で満たされているので、やはりテュケーがモデルであることを示唆しています。

鬼子母神の成立

紀元前後に成立したと考えられる原始仏教経典『長阿含経』には「降鬼諸神王、及び降鬼子母は人を喰らう鬼で悪神であったが、後に仏に帰依し護法善神となった」とあります。

これは仏教では異教の夫婦神であるバーンチカとハーリーティを悪神として一度地位を落とし、仏教に帰依させることで仏教の優位性を示したことを示唆しています。

時代が下り4世紀頃に成立したと考えられる中期大乗仏教経典『金光明経』では「訶梨帝母南鬼子母等、及び五百神、常に来て擁護する者である」「鬼子母に敬礼すれば子が授かる」と記述されています。ただし、ここでは一般に知られている鬼子母神の故事はありません。

鬼子母神の故事は北斉(550~557)の頃に漢訳されたとされる『摩訶摩耶(まかまや)経』(訳者不詳)や、唐代の僧・義浄(635~713)漢訳『根本説一切有部毘那耶(びうるな)雑事』と彼のインド旅行記『南海寄帰内法伝』に記載されていいます。

『摩訶摩耶経』は子供の数の記載はありませんが、義浄は五百人としていることからインド国内で『金光明経』の「五百神」の数字が転化したと考えられます。

一方で俗説で知られる鬼子母神の故事は作者不明の『仏説鬼子母経』に詳らかで、鬼子母神の子は千人で五百人は天界に、五百人は人間界にいるとされます。しかし、この経典は現在その内容から中国で作られた偽経とされています。

この『仏説鬼子母経』の内容が日本にも伝わり、日本人特有の鬼子母神像が成立したと考えられます。

鬼子母神と日本

鬼子母神は平安時代に日本で密教が庶民まで広まると、子宝に恵まれない女性たちに間で信仰の対象となりました。特に貴族の間で安産祈願のため鬼子母神を屋敷内に祀り、訶梨帝母法の修法が盛んに行われました。

また日蓮宗の開祖・日蓮は、女性でも成仏できることを説くため鬼子母神と十羅刹女を重要視し、法華曼荼羅にこの二柱を加えています。これにより日蓮宗の信者の間で鬼子母神信仰が盛んになり、鬼子母神を祀る寺院が数多く誕生します。

鬼子母神のご利益

鬼子母神を信仰すると子宝安産に恵まれ、子供が健やかに育ち、盗難に遇わないとされています。

鬼子母神の真言

オン 弩弩麼里迦■(口偏に皿)ドドマカキテイ 娑嚩訶ソワカ

鬼子母神が安置されている寺院

東京都 法明寺

東京都 真源寺

千葉県 遠寿寺

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