不空羂索観音って、どんな仏様?
不空羂索観音とは
不空羂索観音(ふくうけんさくかんのん/ふくうけんじゃくかんのん)は大乗仏教の主に密教で信奉される菩薩に属する尊格です。
サンスクリット語ではアモガパーシャ(Amogha-pāsa)と呼び、アモガは「不空」、パーシャは古代インドで狩猟に使われた投げ縄のことで「羂索」と漢訳されました。経典により不空王観世音菩薩、不空広大明王観世音菩薩、不空悉地王観世音菩薩とも表記されます。
不空羂索観音は慈悲の羂索で漏れなく衆生を捉え救う観音菩薩とされます。また不空羂索観音は観世音菩薩の変化観音の一つであり、天台宗では六観音の一柱として准胝観音に替わり人間道を司るとされています。一方で、真言宗では七観音の一柱としています。
不空羂索観音は多面多臂の菩薩の中では千手観音や十一面観音と同等に古い仏様で、隋代の翻訳僧・闍那耶舎(じゃなくった)訳『不空羂索咒経』が初出です。他にも唐の菩提流支(ぼだいるし)訳『不空羂索神変真言経』、唐玄奘三蔵訳『不空羂索咒心経』などにその功徳が説かれています。
不空羂索観音の仏像の見分け方
不空羂索観音は敦煌壁画などにも描かれ、経典によりその姿は様々。中国の仏像は三面六臂が一般的。また南伝仏教でも崇拝された痕跡があり、インドネシアのジャワ島などで不空羂索観音の石像が発見されています。
チベット密教の仏像では三面四臂で宝冠に阿弥陀如来の化仏を頂き、鹿の皮を敷いて結跏趺坐(けっかふざ)し左肩手に羂索、もう一手に施無畏印、右手は婆羅花、もう一手に三叉鉄鈎(てっこう)という武器を持つ姿で表現されます。
日本の不空羂索観音の仏像は一面三眼八臂で表現されることが多く、二臂で合掌し、ニ臂で与願印、残りの四臂で羂索、蓮華、錫杖、払子を持ちます。不空羂索観音を象徴する三昧耶形は羂索と開蓮華です。
不空羂索観音の由来
不空羂索観音も他の変化観音と同様にヒンドゥー教のシヴァ神が由来の尊格です。
仏典には摩醯首羅天(まげいしゅらてん)と同体と説かれ、摩醯首羅天は大自在天とも称されます。大自在天は仏教におけるシヴァ神の名です。
日本の不空羂索観音は一面三眼八臂ですが、シヴァ神も多臂の神で額に第三の眼があります。また不空羂索観音の持仏である「羂索」と「錫杖」は、シヴァ神が持つ「念珠」と「三叉戟(槍状の武器)」と形状が似ています。
さらに不空羂索観音は鹿の皮を敷いて結跏趺坐すると説かれますが、シヴァ神は虎の皮を敷き結跏趺坐する姿で表現されるなど非常に多くの共通点があります。
不空羂索観音の成立
不空羂索観音について初めて説いた『不空羂索咒経』を漢訳した翻訳僧・闍那耶舎はガンダーラ地方の出身で、559年から中国の都・長安に入り翻訳事業に従事していたことが知られています。
唐の菩提流支訳『不空羂索神変真言経』では、観世音菩薩が過去仏として過ごした九十一劫(こう、「劫」は宇宙の誕生から消滅までの時間を表す単位)の最後に、自在王如来から不空羂索観音の真言を与えられたと位置付けされます。
これらの事から不空羂索観音は後期大乗仏教が成立した6世紀前半に、シヴァ神を元に成立した尊格と考えられます。
不空羂索観音と日本
不空羂索観音はすでに天平時代には日本に伝来していました。天平7年、唐から帰国した法相宗の僧侶・玄昉が『不空羂索神変真言経』と『不空羂索神呪心経』を請来し、そのご利益を得るために東大寺法華堂(三月堂)に不空羂索観音像を祀っています。
ただしこの2つの経典にはただ「摩醯首羅天の如し」と記載されるだけで、不空羂索観音の形状を説いていません。そこで摩醯首羅天は大自在天と同じなので、一面三眼八臂の大自在天を菩薩形に仕立て直した日本式の不空羂索観音が成立します。
また藤原氏と縁が深い春日大社では主祭神の建御雷神(たけみかづち)が白鹿に乗って鹿島から来たとされることから、鹿皮を持つ不空羂索観音を建御雷神の本地仏と見なしました。そのため藤原不比等が建立し法相宗の大本山興福寺では、南円堂のご本尊に不空羂索観音坐像を安置しています。。
不空羂索観音のご利益
『不空羂索神変真言経』によれば朝晩7回不空羂索観音の真言を唱えると、罪や病、苦痛、煩悩が除かれ、極楽に往生でき、吉祥が得られるとされています。
不空羂索観音の真言
唵 鉢頭摩 陀囉 ■暮伽 若野泥 主嚕主嚕 莎縛訶
■=「施」から「也」を消し、「可」を入れる
不空羂索観音像が安置されている主な寺院
奈良県 東大寺 乾漆不空羂索観音立像(国宝)
京都府 広隆寺 木造不空羂索立像(国宝)
奈良県 大安寺 木造不空羂索立像(重要文化財)
奈良県 興福寺 木造不空羂索観音坐像(国宝)
福岡県 観世音寺 木造不空羂索立像(重要文化財
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