普賢菩薩 役割/仏像/由来/ご利益/寺院など詳しく解説

コラム

普賢菩薩って、どんな仏様?

普賢菩薩とは

普賢菩薩とは大乗仏教で信仰される菩薩に属する尊格です。サンスクリット語ではサマンタバドラ(Samantabhadra)と呼び、三曼多跋陀羅菩薩、三曼陀嘅陀菩薩と音写します。

サマンタバドラは本来サンスクリット語で「偉大な統治者」という意味ですが、「普遍的に賢い者」という意味もあるため普賢菩薩と漢訳されます。『大日経疏』では普賢菩薩の普は「遍く一切」、賢は「最も妙善」の意味であると説かれていますが、経典により解釈が異なります。

また『法華経』で普賢菩薩の十大誓願を説いていることから十大願王とも称されます。一方で、『華厳経』では普賢菩薩は毘盧遮那仏(大日如来)と文殊菩薩と共に大乗仏教の慈悲の精神を表す仏と位置付けされます。

そのため基本的に文殊菩薩と共に表現されることが多く、文殊菩薩が仏教の「智」の象徴なのに対し、普賢菩薩は「理」を象徴とされます。また日本の密教では普賢菩薩の「理」の側面が真言密教第二祖の金剛薩埵と同じと解釈され同一視されます。

大日如来の脇侍として二体一対のぞんざいである文殊菩薩が単独で信仰されることもあるのに対し、日本で普賢菩薩が単独で信仰されることはほとんどありません。

普賢菩薩の仏像の見分け方

日本における普賢菩薩の仏像は釈迦如来の右脇侍として左脇侍の文殊菩薩と共に安置されることがほとんどです。日本の普賢菩薩は『法華経』に説かれているように六牙の白象の背に蓮華座を乗せ、その上に結跏趺坐(けっかふざ)し合掌する姿で表現されます。

また密教の仏像では左手に宝剣を立てた蓮茎を持つ、あるいは五鈷杵を持つ姿で現されます。

普賢菩薩を象徴する三昧耶形は五鈷杵と剣です。

普賢菩薩の由来

古代インドの神話や人物の中に普賢菩薩を意味するサンスクリット語の「サマンタバドラ」に相当するものはありません。しかし普賢菩薩の性格は大乗仏教を大成し西暦2世紀頃に存在したとされるインド僧・龍樹(ナーガルジュナ)との関連性が指摘されています。

龍樹ナーガルジュナの弟子と称する鳩摩羅什(クマーラジーヴァ)は401年から中国の都・長安で翻訳事業をしており、『龍樹菩薩伝』を書き残しています。大まかなあらすじは以下の通りです。

「龍樹はバラモンの出身で小乗仏典を90日で読破し、その後ヒマラヤで修行して老比丘※から大乗経典を授けられた。大乗を習得した龍樹は数多の宗教者やバラモン僧を論破し、さらに南インドで将軍とり、神通力で阿修羅との戦いに勝利した。

王の側近のバラモン僧に論戦を挑まれた時も、龍樹は神通力で六牙の白象を作り出し、そのバラモン僧を象の鼻で投げ出した。龍樹の死後、人々は龍樹菩薩と呼び信仰を集めた。」

普賢菩薩も大乗仏教の菩薩で、サマンタバドラに「偉大な統治者」という意味があるのは龍樹が南インドで将軍となった故事と一致します。また六本牙の白象は普賢菩薩の乗り物です。そのため龍樹が普賢菩薩の由来となった可能性は十分あります。

※仏教の僧侶のこと。

普賢菩薩の成立

普賢菩薩の名は大乗仏教の経典として西暦1~4世紀頃の経典を集めたと考えられる『華厳経』と、286年に翻訳僧竺法護(じくほうご)が漢訳した『法華経』の二大聖典の中に共に登場しています。ちょうど普賢菩薩の由来と考えられる龍樹が活躍していたころと一致します。

普賢菩薩が他の大乗仏教の仏様と大きく異なるのは、女性往生を説いている点です。

当時のインド社会では既にヒンドゥー教が多数派を占めていました。ヒンドゥー教の経典の一つである『マヌ法典』では、明確に女性が先天的に邪悪な存在として扱われています。『マヌ法典』は現代でもインド社会のカースト制を正当化する経典です。

カースト制ではバラモン階級に生まれた男子だけが最終的に解脱できるとされ、たとえバラモン階級であっても女性に生まれたら如何なる修行しても今世では解脱が叶わないとされます。このようにインド社会では古代から女性蔑視の根底にあり、原始仏教でも女性は救済されない存在でした。

この考えに異を唱えたのが『法華経』本門の最後に説かれている『普賢菩薩勧発品(ふげんぼさつかんぼつほん)』です。ここでは女性でも『法華経』を21日間修習したなら普賢菩薩が目の前に現れ彼女らを解脱に導くと説いています。

大乗仏教は一切衆生の救済が目標です。そのため当時のインド社会で最も地位が低かった女性を最終的に普賢菩薩に救済させることで、ヒンドゥー教の下で虐げられていた女性を仏教徒として獲得する目的があったと考えられます。そのため普賢菩薩は仏教が生み出した独自の仏様と考えられます。

普賢菩薩と日本

普賢菩薩は『法華経』が日本に伝来した聖徳太子の時代に、その存在が知られています。聖徳太子が自ら『法華経』の注釈書『法華義疏』を著したように、『法華経』は当時鎮護国家の重要な経典の一つでした。当時の日本仏教でも、女性は救済されない存在として扱われていました。

平安時代以降、貴族の間で『法華経』が浸透すると、女性救済を説く普賢菩薩が貴族の女性たちの間で大変信仰されました。そのため普賢菩薩の眷属として十羅刹女(じゅうらせつにょ)や鬼子母神(きしもじん/きしぼじん)といった元々悪鬼だった女性格の神仏が共に祀られています

また普賢菩薩のご利益に延命があり、中世の天皇の即位式などで密教の「普賢延命法」の法要が行われています。この法要では、より密教的な仏像の二十二臂の普賢延命菩薩像が祀られます。

普賢菩薩のご利益

「普賢延命法」が説かれた『一切諸如来心光明加持普賢菩薩延命金剛最勝陀羅尼経』によると、普賢菩薩は過去の悪い因縁を断ち切り、心を清らかにし、障害や厄災を除き、寿命を延ばすご利益があるとされています。

普賢菩薩の真言

オン 三昧耶薩怛鍐サンマヤサトバン

普賢菩薩が安置されている主な寺院

三重県 普賢寺 木造普賢菩薩坐像(国重要文化財)
京都府 妙法院 木造普賢菩薩騎象像(国重要文化財)
山形県 慈恩寺 騎象普賢菩薩及び十羅刹女像(国重要文化財)

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