不動明王 役割/仏像/由来/ご利益/寺院など詳しく解説

コラム

不動明王って、どんな仏様?

不動明王とは

不動明王は大乗仏教の密教で信仰される明王に属する尊格です。サンスクリット語ではアチャラナータ(Acalanātha)と呼び、阿遮羅曩駄と音写されます。アチャラは「動かない」、ラータは「守護者」という意味で、中国で漢訳の際に「不動明王」の名が充てられました。

仏教の守護者の五大明王の中心を成す仏様で、真言密教では大日如来の化身とされます。憤怒の形相は仏教に従わず煩悩から抜け出せない衆生を力づくで救済しようとする大日如来の慈悲心の表れとされています。そのため大日如来を本尊とする真言密教で、不動明王は重要な役割を果たします。

不動明王の仏像の見分け方

不動明王の仏像は『大日経疏』に描かれる一面二臂が基本で、右手に魔を祓い人の煩悩と断ち切る三鈷剣、左手に悪を縛り上げ煩悩から逃れられない衆生を縛ってでも救済するための羂索(投げ縄のような武器)を所持します。また三鈷剣に竜が巻き付いた倶利伽羅(くりから)剣を持つ場合もあります。

不動明王の表情は憤怒の形相で天地眼(片目が半開きの状態)、口は食いしばり右牙が上向き、上牙が下向きで唇から外に出ています。額は七髷か八葉蓮華、肌は青黒く衣は赤土色で肩から垂らす姿一般的。また光背は煩悩を焼き尽くす火炎で表現されます。

不動明王は眷属に八大童子を従えますが、不動明王三尊像で表現される際は脇侍として矜羯羅童子(こんがらどうじ)と制多迦童子(せいたかどうじ)を従えます。また不動明王が大日如来の脇侍として仕える場合もあります。

 

不動明王の由来

不動明王はヒンドゥー教の三大神の一柱・シヴァ神が由来です。

不動明王の語源でサンスクリット語の「アチャラ」は、シヴァの1000の異名を集めた『サハスラナーマ』に見られます。これはシヴァ神が瞑想の際に動かないことを意味する時の呼び名です。

また外見上や性質もシヴァ神に似ており、青い皮膚やもつれた髪の毛、手に武器を持ち、破壊神や火神的な性格、災厄の除去、蛇(不動明王では竜)をまとう姿などが共通しています。

不動明王の成立

不動明王の名は709年にインド出身の翻訳僧・菩提留志(ぼだいるし)が漢訳した『不空羂索神変真言経』で不動使者の名で登場するのが最初です。また725年に翻訳僧・善無畏(ぜんむい)が漢訳した『大日経』では不動如来使と漢訳されました。

現在と同じ不動明王と漢訳されたのは善無畏の弟子で中国僧・一行(いちぎょう)が記した『大日経疏』からです。これらは7世紀にインドで成立した密教と関連が深い経典です。

インド密教ではヒンドゥー教と対抗するため怨敵降伏を祈願する仏尊が次々と誕生し、その過程でヒンドゥー教の最高神シヴァ神の異名「アチャラ」を不動明王として取り込んだと見るのが妥当です。実際に真言密教では、降魔調伏の際に不動明王の真言を唱えます。

不動明王と日本

不動妙と真言密教

唐の玄宗皇帝の勅命でインド僧・善無畏が密教経典『大日経』を漢訳したことで、中国で真言密教が確立します。しかし中国真言密教の第七祖・恵果が日本からの留学僧、空海に奥儀一切を授けて入寂したため、中国の真言密教はここで途絶えてしまいます。

このように密教で降魔調伏の仏尊として成立した不動明王は空海より日本に伝来します。伝承では唐から帰国の際に海上で暴風に遭遇し、師・恵果から授かった霊木に不動明王を刻み船首に掲げ祈祷したところ、不動明王の剣から炎が噴き出し荒れ狂う波を切り裂いたと言われています。

この不動明王は「波切不動」として現在も高野山南院に祀られています。また空海は日本各地で行った加持祈で不動明王の真言を唱えたため、民間にも不動明王の名が知れ渡りました。

不動明王と平将門の乱

935年に平将門が一族の内紛により常陸国で反乱を起こすと瞬く間に勢力を拡大、関東一帯を手中に収め新皇と称して朝廷と対立します。将門謀反の報を受けた朝廷は940年に討伐軍が組織し関東に派遣しますが、戦上手の将門に手を焼き膠着状態が続きます。

仏教の力で将門鎮圧を考えた朱雀天皇は、皇族の血を継ぐ真言宗の僧侶、寛朝に将門調伏の勅命を出します。寛朝は空海自らが敬刻開眼した神護寺の不動明王像を借り受け、船で房総半島に上陸。平将門誕生の地に近い成田に不動明王を安置し、護摩を焚き21日間の加持祈祷を行います。

祈祷の最終日、平将門は弓争いで流れ矢が額に当たり絶命します。朝廷軍が散々手を焼いた将門が不動明王の加持祈祷で呆気なく滅んだことで、一般庶民の間で不動明王に対する関心が高まりした。

ちなみに祈祷が終わり寛朝が不動明王像を持ち帰ろうとしたところ、不動明王像が岩には貼り付いて動かず、寛朝にこの地に留まると告げたとされています。これが成田山新勝寺開山の縁起です。

不動明王と元寇

鎌倉時代、二度に渡り元寇が行われます。この時は国の総力を挙げての決戦となり仏教、神道共に神仏の力を借りて異国を調伏する加持祈祷が全国の寺社で行われます。

仏教側で調伏の中心となった仏が、平将門討伐に絶大な威力を発揮した不動明王です。事実二度も「神風」を起こし蒙古軍が壊滅したため、庶民の間で不動明王信仰が益々盛んになりました。

不動明王のご利益

不動明王修法を行うと息災と増益が叶い、国家鎮護と国民の安泰がもたらされるとされています。また不動明王は厄除け、開運、交通安全にご利益があるとされます。

不動明王の真言

一字咒

曩莫三曼多嚩日囉 ノウマクサンマンダバダラ(赤+犮)ダン カン

慈救咒

曩麼ノウマク 三曼多サンマンダ 跋惹羅 (口+赤+犮)ボザラダン 戰荼センダ 摩訶嚧沙拏マカリョシャダ 沙叵吒野ソワタヤ ウン 怛囉吒タラタ 訶吽カン 摩吽マン

火界咒

曩莫薩嚩怛他蘖帝毘藥ノウマクサラバタターギャテイビヤク 薩嚩目契毘藥サラバボツケイビヤク 薩嚩怛囉吒ふサラバタタラタ 贊拏摩賀路灑拏センダマカロシャダ ケン 佉(口+皿)ギャキ 佉(口+皿)ギャキ 薩嚩尾勤南サラバビギナン ウン 怛囉吒タラタ カン (牟+含)マン

不動明王が安置されている主な寺院

千葉県      新勝寺   木造不動明王及二童子像(国重要文化財)

京都府      東寺    木造不動明王坐像(国宝)

和歌山県 金剛峰寺 木造不動明王立像【波切不動】(国重要文化財)

コメント

タイトルとURLをコピーしました