荼枳尼天 役割/仏像/由来/ご利益/寺院など詳しく解説

コラム

荼枳尼天って、どんな仏様?

荼枳尼天とは

荼枳尼天(だきにてん)とは大乗仏教で信奉され、天部に属する女性格の護法善神です。サンスクリット語はダーキニー(Ḍākinī)で、意味は「天を飛ぶ女」。荼枳尼天はその音写で、経典により拏吉寧、拏吉尼、拏枳儞、荼耆尼、荼枳尼、荼吉儞、陀祇尼、吒枳尼などと音写されます。

仏教では夜叉の一種とされ、胎蔵界曼荼羅の外金剛部院南方で、閻魔天の三柱いる眷属の左側、死者の魂と肉体を切り離すの脱精鬼として描かれます。

また『大日経疏』では、荼枳尼天は大黒天の眷属で神通力を持つ夜叉の一種とされます。人の死の6か月前を感知する力があり、その人に死を告げ、死後に心臓を食べる約束を交わす代わりとして大願を叶えるとされています。

大日如来はこの邪法を除くため、大黒天を遣わし降三世明王の法術を使い仏教に帰依させたとしています。

荼枳尼天の仏像の見分け方

日本の荼枳尼天は中国の唐服を着た天女の姿で、右手に宝剣、左手に如意宝珠を持ち、白狐に載る姿で表現されます。胎蔵界曼荼羅では半裸で手を胸に当て。右手で鉢を持つ姿で現されます。

荼枳尼天の由来

荼枳尼天の由来であるダキニの名は、ヒンドゥー教の神話でシヴァ神とシュンバ・ニシュンバ兄弟神との戦いで登場します。シュンバ・ニシュンバ兄弟神は男性神に対して無敵だったため、シヴァ神は妻で戦いの神ドゥルガーにこの討伐を願い出ます。

この時、ドゥルガーは自分よりさらに残虐な戦いの女神カーリーを額から生み出し、さらに頭髪から8人の戦いの女神を生み出しますが、その女神の一人としてその名があります。

その際ダキニは猫、あるいは蛇の顔と八本の手を持ち、左手で安心を意味する手印を、右手で盾や槍、投げ縄などの武器を持つとされます。また彼女の肌は紺色で、イヤリングと髑髏でできたネックレスをしているとされています。

後世、インドのヨーガで男性神のエネルギーと交わる女性神の一柱として採用されます。

荼枳尼天の成立

ダキニがヒンドゥー教のヨーガに採用されたため、このヨーガを教義に取り込んだ大乗仏教の瑜伽行唯識学派が取り込みます。この学派の修法「五摩字(食肉、食魚、飲酒、結印、性交の快楽により成仏する法)」の行で、このを象徴する神として荼枳尼天が崇められました。

そのため、荼枳尼天は3~4世紀頃に仏教に取り込まれたと考えられます。

この五摩字行は性愛を肯定するインド社会で大いに流行し、後にチベット密教に採用されます。チベット密教では無上瑜伽タントラの守護仏(ヘールカ)と交わる明妃(ダーキニー)として、現在も大変重要視されます。

一方この秘法は唐代に玄奘三蔵が中国にもたらしますが、当時の中国仏教の考え方から見ればあまりにも外道だったので採用されず、中国で荼枳尼天が進行されることはありませんでした。

荼枳尼天と日本

荼枳尼天は空海によってもたらされます。空海が開いた真言宗では『大日経』が根本経典なので、そこで閻魔天の眷属として人の死とかかわる荼枳尼天も重要な仏と認識されます。

ところがこの死のイメージにより日本で農業神の稲荷神と集合し、稲荷伸の使いである白狐に載る天女として信仰され始めます。

狐は害獣のネズミを捕って食べる一方、土に埋めた人の死体も掘って食べていたため稲荷神の本地垂迹として荼枳尼天があてられました。これによりに日本では荼枳尼天を辰狐王(しんこおう)菩薩、貴狐(きこ)天皇(あるいは天王)と呼ぶようになりました。

また荼枳尼天の人の死(心臓)と引き換えに願いを叶えるという神通力はしばしば歴史物語や軍記物語に採用され、荼枳尼天の名は広く庶民にも知られるようになります。またこれにより稲荷神が祟り神というイメージも強まります。

戦国時代には大名の間で鎮守稲荷を城内に建立することが流行ったため、その本地仏である荼枳尼天を戦勝祈願の仏として信仰するようになりました。

江戸時代に商人の間で稲荷信仰が流行すると何でも願いを叶える神通力の面だけが強調され、商売繁盛や開運出世、病気平癒を叶える神として信仰されました。

荼枳尼天のご利益

荼枳尼天を崇拝すると、商売繁盛、子孫繁栄、無病息災、福利増長、家門隆盛、水火盗難にあわず、人から敬愛されるなどのご利益があるとされています。

荼枳尼天の真言

曩莫ノウマク 三曼多没駄南サンマンダボダナン オン 哈哩哈ハリハ 娑嚩訶ソワカ

荼枳尼天の仏像が安置されている寺院

千葉県 新勝寺 出世稲荷

岡山県 最上稲荷妙教寺

京都府 真正極楽寺法伝寺

愛知県 豊川稲荷

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