大威徳明王って、どんな仏様
大威徳明王とは
大威徳明王は大乗仏教の主に密教で信奉される明王に属する尊格です。
サンスクリットではヤーマンタカ(Yamāntaka)と呼び、閻曼徳迦と音写されます。サンスクリット語で「閻魔を降す者」という意味で、降閻魔尊と漢訳され、閻魔大王さえ下す偉大な能力から大威徳力明王と名付けられました。その姿から経典により六足尊などと表記されます。
またサンスクリット語の別名でヴァジュラバイラヴァ(Vajrabhairava)という異名もあり、こちらは漢訳で金剛畏怖と訳されます。
大威徳明王は不動明王と同じ五大明王の一柱で西方を司り、阿弥陀如来及び文殊菩薩の化身とされてます。また大威徳明王は人を害する毒蛇や悪竜、怨敵を降伏する力があるとされます。日本で大威徳明王は五大明王の地位を出ませんでしたが、中国やチベットの密教では単独尊で信奉されます。
中国密教では戦争の勝利祈願や悪人調伏を叶える仏尊として、チベット密教では仏教の修行を妨げる四魔の中、死魔を取り除き即身成仏を叶える最高の仏尊として無上瑜伽(むじょうゆが)タントラの中心尊になっています。
大威徳明王の仏像の見分け方
大威徳明王の仏像は依拠する経典により姿が異なりますが、六面六臂六足像が一般的です。
その姿は仏教修行で八正道を叶える六根清浄を表す、あるいは六面で六道(天上界、人間界、修羅界、畜生界、餓鬼界、地獄界)を見渡し、六本足で悟りを開くまでの修行徳目を表す六波羅蜜(布施、持戒、認辱、精進、般若)をたゆまず進むことを意味するなどと例えられます。
また大威徳明王の肌は青黒で、青は菩提心の色、黒は慈悲の色とされます。さらに手は剣、如意宝棒、金剛杵、三叉戟、法輪、弓、矢、羂索などの武器を持ちます。首は瓔珞(ようらく)の代わりに髑髏をまとい、虎皮の腰巻をし、火炎を背負い、多くの像が水牛に乗っています。
大威徳明王を象徴する三昧耶形は如意宝棒で、仏教の理智を表現しているとされます。
大威徳明王の由来
大威徳明王はヒンドゥー教の三大神の一柱、シヴァ神が由来です。大威徳明王の異名のヴァジュラバイラヴァの「バイラヴァ」はシヴァが持つ1000の名前の一つで、シヴァ神の狂暴面を表す名前です。そのため大威徳明王はシヴァ神の八相の性格の中、狂暴面の姿が原型です。
バイラヴァはヒンドゥー教では八面多臂の姿で表現され、同じヒンドゥー教の三大神で頭が5つあったとされるブラフマンの頭の一つを切り落としし今の四面の姿に変えたという伝承があります。また大威徳明王とは肌の色、武器を持つ姿、牛を乗り物にするなどといった共通点があります。
一方で、大威徳明王のサンスクリット語ヤーマンタカは「閻魔を降す者」という意味ですが、大威徳明王の姿は古代インド神話で閻魔の元となったマヤの姿にも似て、青黒い肌で髑髏をまとい水牛に乗る姿は一緒です。
大威徳明王が複数の名前を持ち、経典により姿も異なることからも、仏教に取り込まれる過程でバイラヴァとマヤが習合したと考えられます。
大威徳明王の成立
大威徳明王は胎蔵菅曼荼羅で降三世明王と共に持明院の重要な仏として表現されます。そのめ『大日経』などがインドで確立した7世紀頃に、密教の尊格として成立したと考えられます。
大威徳明王と日本
大威徳明王は空海が日本に密教を請来したのと同時に日本に伝来しました。空海は加持祈祷に不動明王を中心とした五大明王の修法「五壇法」を用いましたが、中心尊の不動明王を除く他の明王と同様に五壇法用の一尊として扱われたため、単独で信奉されることはほぼありません。
大威徳明王のご利益
大威徳明王を信奉すると煩悩を焼き尽くし菩提に変え、一切の障魔・毒竜を調伏し、戦争や勝負事に勝ち、福徳を分け与えてくれるとされています。
大威徳明王の真言
唵 瑟底哩迦羅嚕婆吽缼 娑呵
大威徳明王が安置されている寺院
神奈川県 称名寺 木造大威徳明王像 (国重要文化財)
大分県 真木大堂 木造大威徳明王像 (国重要文化財)
滋賀県 石馬寺 木造大威徳明王像 (国重要文化財)
コメント