弁才天 役割/仏像/由来/ご利益/寺院など詳しく解説

コラム

弁才天って、どんな仏様?

弁才天とは

弁才天とは大乗仏教で信奉され、天部に属する女性格の護法善神です。サンスクリット語ではサラスヴァティー(Sarasvatī)と呼び、薩囉薩伐底、あるいは娑羅室伐底と音写されます。本来は「水を持つもの」という意味で、ヒンドゥー教で川と豊穣の女神サラスヴァティーを指す言葉です。

この女神は言葉や音楽、知識などを統べる神で、そのまま仏教に取り込まれました。そのため漢訳で『金光明最勝王経』では言葉の神として「弁才天」、『大随求経』や『不空羂索経』では大弁才天女の漢訳が、『大日経』では音楽の神として妙音天、美音天の漢訳名が宛がわれています。

日本でも弁才天は芸能や音楽、そして財伸として信仰されることが多く、現在は七福神の一柱として親しまれています。

弁才天の仏像の見分け方

日本の弁才天像は『大日経』で説かれた一面二臀の天女の姿が一般的で、右手にバチ、左手に琵琶を持つ天女形で表現されます。

一方、『金光明経』や『金光明最勝王経(こんこうみょうさいしょうおうきょう)』で説かれた弁才天は一面六臂か八臂の菩薩形で、手に剣、斧、弓、矢、羂索などの武器を持ち、足元に獅子、虎、豹などの猛獣を従えるとされます。

弁才天を象徴する三昧耶形は琵琶です。

 

弁才天の由来

ヒンドゥー教の女神サラスヴァティ-
弁才天のサンスクリット語から分かるように、ヒンドゥー教の女神サラスヴァティーが由来です。サラスヴァティーはインド最古の聖典『リグ・ヴェーダ』で聖なる川・サラスヴァティー川の化身として登場し、その前身は世界最古の宗教ゾロアスター教の川の女神アナーヒターとされます。

川は自然界では浄化の力を秘め、そのイメージから瞑想→知識→言葉→音楽→歌→弁舌といった精神的な概念がサラスヴァティーの性格として付加されました。また川は自然の恵みをもたらため豊穣と福徳の女神として信奉されます。

そしていつしかヒンドゥー教の三大神の一柱ブラフマーの妻という最高の地位が与えらます。ヒンドゥー教のサラスヴァティーは一面四臀で白い肌の美しい女性の姿をし、両手でヴィーナと呼ばれる琵琶に似た弦楽器を引き、他の手には数珠と知識を意味するヴェーダ(聖典)を所持します。

これは『大日経』で描かれた弁才天の姿に酷似しています。

弁才天の成立

弁才天の名が登場する最も古い仏典は、インドで4世紀頃に成立したと考えられる『金光明最勝王経』です。

この経典は四天王などの護法善神の力を借りて鎮護国家が得られると説いています。この経典の弁才天は智慧の女神として登場しますが、その姿は一面八臀で武器を持つ戦闘神で、他の女神と共に戦闘すると説といています。

戦闘の女神ドゥルガー
戦闘の女神ドゥルガー

ところがヒンドゥー教のサラスヴァティーは智慧の神ですが、戦闘神ではありません。一方、同じヒンドゥー教には戦の女神ドゥルガーがいます。彼女は一面多臀で手に様々な武器を持ち、髪の毛からマトリカスと呼ばれる7柱の戦いの女神を生み出すとされています。

このことからも『金光明最勝王経』の弁才天は、サラスヴァティーとドゥルガーを混同している可能性が高いと考えられます。

時代が下り、中国の北魏時代に都洛陽で南インド出身の翻訳僧・菩提流志(ぼだいるし)が漢訳した『不空羂索神変真言経』(693~713年)ではサラスヴァティーは音楽と智慧、福徳の天女であると説いているので、日本で信仰されている弁才天の姿により近くなります。

8世紀前半に唐の翻訳僧・善無畏(ぜんむい)が漢訳した『大日経』では弁才天は音楽の神の姿が強調され、ヒンドゥー教のサラスヴァティーの姿と合致します。

弁才天と日本

弁才天と鎮護国家

聖徳太子が『日本書紀』で四天王像を作って戦勝祈願をしたように、仏教伝来当初から日本では四天王信仰が盛んでした。弁才天の功徳を説いた『金光明最勝王経』は8世紀頃には日本に伝わり、聖武天皇が同経典を写経して全国の国分寺に配布したのは有名です。

『金光明最勝王経』では四天王に次いで弁才天の功徳を説きます。奈良東大寺の法華堂には、東大寺開山に当たった良弁が本尊に据えた不空羂索観音を主尊に、四天王をはじめ諸天が祀られています。その一柱として唐衣を着た一面八臀の弁才天像が制作されています。

この弁才天は現在日本で確認されている最古の弁才天像です。しかしそれ以後、『金光明最勝王経』に描かれた一面八臀の弁才天像が作られることはほとんどありませんでした。

弁才天と藤原師長

藤原師長(ふじわらもろなが)は平安時代末期の公家出身の政治家で、琵琶の名手として知られています。彼は自ら妙音院太相国と号していました。そのため仏教で音楽の神である妙音菩薩(弁才天)を篤く信奉します。

京都府の白雲神社には藤原師長が信奉した一面二臀で琵琶を持つ菩薩形の弁才天が残され、これが日本最古の二臀の弁才天像とされています。

以後、演奏家の間で弁才天を信奉する風潮が広がったと思われ、鎌倉市鶴岡八幡宮に残れている弁才天像には文永三年(1266年)の刻印があり、さらに舞楽院建立のため安置したと記されています。

弁才天と宇賀神

中世以降、弁才天は神道の神・宇賀神(うがしん)と習合し、宇賀弁才天として信仰されます。宇賀神は穀物神の宇迦之御魂神(うかのみたま)が由来とされますが、現在も確たる証拠は得られていません。その姿は人頭蛇身で、雨をもたらす龍神の化身とも考えられています。

弁才天はもともと川の女神で、仏教では竜も川と関連付けられます。また弁才天も豊穣をもたらす福の神なので、宇賀神と同一視されました。特に天皇家と近い天台宗では、仏教の仏と神道の神を合わせる神仏習合が盛んに行われています。

 

琵琶湖の竹生島にある宝巌寺には、比叡山で作られ1565年に奉納されたとされる宇賀弁才天が残されています。この宇賀弁才天は『金光明最勝王経』に記された一面八臀の弁才天で、頭上にはとぐろを巻いた人頭蛇身の宇賀神と鳥居を頂き、手には武器と共に願いを叶える如意宝珠を持つ坐像です。

以後、この異形の弁才天像は川や池など水に関する全国各地の神社や寺院に安置され、豊穣と福徳をもたらす福の神としての宇賀弁才天が祀られるようになります。水に関する地名に「弁天」と付く場所が多いのは、この宇賀弁才天が関係しています。

やがて音楽や芸能の神と崇められてきた琵琶を持つ二臀の弁才天と再び混同が起こり、より人の形に近い二臀の弁才天が福の神として一般に信仰されるようになります。俗説で蛇が弁才天の使いとされるのは、この宇賀神信仰が由来と考えられます。

弁才天と七福神

弁才天は七福神の一柱として知られています。日本で七福神信仰が始まったのは室町時代後期です。天台宗の開祖・最澄が大黒天・毘沙門天・弁才天の三柱を合わせた三面大黒を寺院の食堂に食に困らないようにと安置して祀っていたことから、当初より七福神の一柱に挙げられていました。

弁才天が琵琶を持ち「才」が「才能」に通じることから、はじめは知恵や技芸上達の神として崇められました、やがて「才」が「財」に通じることから、商人の間で財運を向上させる女神として信仰を集めます。

境内の井水でお金を洗うと何倍にもなって戻ってくるご利益があるとされる神奈川県鎌倉市の銭洗弁財天宇賀福神社はその典型です。

弁才天のご利益

『金光明最勝王経』によれば弁才天を疑いなく祀る者は最上の智慧を得て、福徳が増長し、多くの財産を得られるとされています。

弁財天の真言

オン 蘇羅娑嚩帯曳ソラサバタエイ 娑嚩賀ソワカ

弁才天が安置されておいる寺院

奈良県  東大寺   弁才天立像(国重要文化財)

京都府  白雲神社  木造弁才天坐像(国重要文化財)

神奈川県 鶴岡八幡宮 木造弁才天坐像(国重要文化財)

滋賀県  宝巌寺   宇賀弁才天像

神奈川県 江島神社  八臀弁財天御尊像(国重要文化財)

同          妙音弁財天御尊像【俗称「裸弁才天」】

広島県  大願寺   弁才天像

 

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