阿修羅って、どんな仏様?
阿修羅とは

阿修羅とは大乗仏教で信奉される天部に属する護法善神です。サンスクリット語ではアスラ(Asura)で、阿修羅はこの音写です。他にも阿蘇羅、阿素羅、阿素洛、阿須倫、阿須論、阿須羅などと音写されます。
サンスクリット語のアスラは音節で切る場所で意味が異なり、「ア・スラ」なら「天に非ず」、「アス・ラ」なら「命を与える者」という意味となるため、漢訳では非天、非同類、不端正、不酒神と表記されます。
仏教では阿修羅は単独神と一族の呼び名とで2通りの使われ方をします。基本は単独神で使われ、仏教守護の戦闘神として天竜八部衆や二十八部衆に属します。
阿修羅はまた六道の修羅道の衆生も意味します。阿修羅は護法善神として神通力を持つため能力は人に勝るもの、心は常に怒りに満ち戦い意志が抜けない存在とされます。そのため力は弱いが有情の存在の人道の衆生より劣るとされます。
原始仏教経典『長阿含経』では、阿修羅は須弥山の北にある大海の底に住むとされます。その体は須弥山のように大きく、手で太陽や月を掴めます。そのため月食や日食は阿修羅が原因とされます。
また他の仏典には阿修羅と帝釈天が争った説話が数多く残っています。基本的な話は阿修羅王の娘・舎脂(シャチー)を帝釈天が強奪しため、阿修羅は一族を挙げ帝釈天から舎脂を奪回する戦い展開した内容です。
この逸話の結末は経典により異なりますが、舎脂は正式に帝釈天の妻となり、阿修羅王と帝釈天は和解して阿修羅一族が仏教に帰依します。つまり阿修羅は帝釈天の舅にあたります。
阿修羅の仏像の見分け方
阿修羅の姿は仏典により大きく異なり、『仏説三昧経』で九百九十九の頭に同数の手、千眼を有し、八本脚であるとされます。また『長阿含経』では九頭千眼千手、八本脚であるされます。
敦煌壁画では前述の阿修羅像以外に、一面四眼二脚四臂、三面三眼二脚六臂などの多彩な阿修羅像が見られます。
日本の阿修羅の仏像は三面六臂が一般的で、明王のように偏袒右肩の僧祇支(そうぎし)と裳をまとい、瓔珞(ようらく)や臂釧(ひせん)、腕釧(わんせん)で着飾り、腕左右の一臂ずつで合掌か蓮華合掌印を結びます。他にも三面四臂、三面二臂の阿修羅像も存在します。

阿修羅の由来
阿修羅のサンスクリット語「アスラ」は、古代インド神話やバラモン教、ヒンドゥー教の神話に登場するアスラ神族の名です。古代のインド神話集『リグ・ヴェーダ』では、アスラ神族はインドラ(帝釈天)と敵対する天空神ヴァルナの眷属として登場します。
ただし、この時点ではアスラ神族が強大な力を持つことだけが強調され、魔族の要素はほとんどありません。一方、時代が下りバラモン教でインドラの存在感が拡大すると、敵対するアスラ神族は魔族として扱われる機会が増えます。
さらにインドでヒンドゥー教が成立し、シヴァ神やヴィシュヌ神がインドラからその地位を奪うと、アスラはシヴァ神やヴィシヌ神と敵対する神々の総称として用いられました。
ヒンドゥー教の創世神話『乳海攪拌』ではアスラはインドラと天界の地位を争いますが、不老不死の霊薬「アムリタ」と引き換えにヴィシュヌ神やシヴァ神と天地創造を手伝います。しかし協力の約束を反故にされため「アムリタ」が得られず、ヒンドゥー教の神々に敗北したとされています。
阿修羅の成立
阿修羅はヒンドゥー教の様々な悪神の総称だったため、仏典の阿修羅像も他の仏様に比べ多様性に富みます。阿修羅は原始仏教経典『阿含経』や『正法念処経』では、『リグ・ヴェーダ』に登場する巨人・プルシャとの関連を伺わせ、須弥山と紐付けされます。
また同時期に成立したと推定される『法華経』序品では、「アスラ族を統べる四大阿修羅王の羅喉(らご)阿修羅王、婆稚(ばち)阿修羅王、佉羅騫駄(きゃらけんだ)阿修羅王、毘摩質多羅(びまっした)阿修羅王)が眷属を率いて仏教に帰依した」と説いています。
ちなみに帝釈天と争ったのは四大阿修羅王の毘摩質多羅阿修羅王で、後漢時代の翻訳僧・支婁迦讖(しろうかせん)漢訳の『仏説般舟三昧経(ぶっせつはんじゅざんまいきょう)』にその話が残されています。
以上のことから、阿修羅はインドで初期大乗仏教が成立した紀元1世紀頃には、仏教に帰依した諸宗派の神の一つとして取り込まれたち考えられます。
阿修羅と日本
阿修羅について説いた『法華経』は日本に仏教伝来した当初からあり、厩戸皇子(聖徳太子)が関心を寄せていた経典でした。そのため阿修羅もその存在は知られていたと考えられます。
ただし厩戸皇子は四天王を中心とした鎮護国家を目指したため、格下の阿修羅には関心がなかったと思われます。後年、天武天皇が『金光明経』を鎮護国家の経典とすると、同経典で国を守護する八部衆の一柱に阿修羅が挙げられていたため、にわかに阿修羅に対する関心が高まります。
日本に現存する最古の阿修羅像とされているのが、711年建立の法隆寺五重塔内北面に安置された三面六臂の阿修羅の坐像です。この阿修羅像は釈迦入滅時に集まった八部衆の一柱として表現されています。
その後、千手観音の経典『大悲心陀羅尼』が日本に伝来。8世紀中期に千手観音信仰が盛んになると、その眷属の阿修羅像も盛んに制作されました。ただし、その後も日本で阿修羅が単独で信仰されることはありませんでした。
阿修羅が安置されている寺院
奈良県 法隆寺 阿修羅坐像(国宝)
奈良県 興福寺 乾漆阿修羅立像(国宝)
京都府 蓮華王院(三十三間堂本堂) 木造阿修羅立像(国宝)
神奈川県 長谷寺 阿修羅立像
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