阿閦如来 役割/仏像/由来/ご利益/寺院など詳しく解説

コラム

阿閦如来って、どんな仏様?

阿閦如来とは

阿閦(あしゅく)如来は大乗仏教で信奉される如来に属する尊格です。

サンスクリット語ではアクショーブヤ(Akṣobhya)と呼び、阿閦はこの音写です。仏典により阿閦婆とも音写されます。サンスクリット語の本来の意味は「動かない」で、菩提心が山のように動かないことを意味しています。そのため不動如来や不動金剛などとも漢訳されます。

『仏説阿閦経』では阿閦如来が菩薩だった頃に大目如来(或いは広目如来)の前で無瞋恚(【むしんに】自他一切に対し恨みを抱かないこと)を発願をし、人間道と修羅道を往来する長い修行の末、東方の阿比羅提(【アビラダイ】。漢訳では妙喜)の七宝樹の下で遂に成仏したと説きます。

そのため阿閦如来が説法をする寺院を「妙喜」と呼びます。また釈迦が存命中は妙喜から転生し、在野の仏弟子の維摩居士だったと説いています。

私たちが普段目にする阿閦如来は、追善供養で祀られる十三仏の一柱として七回忌目を司ります。しかし阿閦如来は他の仏尊のように単独で祀られることはほとんどありません。

日本では阿閦如来は基本的に大日如来を主尊とする金剛界の五智如来の一柱として東方を司り、大日如来の智のうち大円鏡智(だいえんきょうち)を具現化した仏としています。また胎蔵界曼荼羅の宝幢(ほうとう)如来と同体とされています。

阿閦如来の仏像の見分け方

阿閦如来の仏像は単独像で作られることは稀で、五智如来の一柱として製作されます。

阿閦如来の仏像は一般の如来像と同様に法衣をまとい、頭は螺髪(らほつ)で眉間に白毫(びゃくごう)があり、蓮華座に座し、右手は蝕地印、左手で袈裟を握る姿で表現されます。

また肌は青色とされることから、一般的には薬師如来と同体と見なされています。

阿閦如来を象徴する三昧耶形は五鈷杵です。

 

阿閦如来の由来

シヴァ神
瞑想するシヴァ神像

阿閦如来のサンスクリット語「アクショーブヤ」はヒンドゥー教の三大神の一柱シヴァ神の異名として存在します。ヒンドゥー教の天地創造神話『乳海攪拌』で、シヴァ神が猛毒を飲み首が青くなった逸話があり、この時の異名の一つに「アクショーブヤ」が使われます。

またシヴァ神が瞑想する時も、阿閦如来を意味する「不動」を表すサンスクリット語が用いられます。そのため阿閦如来の由来はこのシヴァと見て間違いないでしょう。

そのため、阿閦如来が「東方を司り肌が青い」ことから薬師如来と同体と見なすのは、姿だけで判断した後世の誤りです。

阿閦如来の成立

阿閦如来が仏教に取り込まれたのは非常に古く、阿弥陀如来と同じ部派仏教後期から大乗仏教成立前期と考えられます。サンスクリット語の経典は発見されていませんが、「大乗」の言葉が使われていないチベット語訳の原始大乗仏教経典に『阿閦仏国経』と『阿弥陀経』があります。

この『阿弥陀経』には阿弥陀如来が治める西方極楽浄土は男性だけの世界と説かれています。これに対し『阿閦仏国経』では阿閦如来が治める東方妙喜国には女性が存在し、しかも妙喜国の女性は出産の苦痛や女性特有の悩みから解放されていると説いています。

原始仏教の観点から考えれば『阿弥陀経』は釈迦本来の教えに近いのですが、『阿閦仏国経』は女性を含め広く衆生を救うことを目的とする大乗仏教の立場をより強く推し進めています。

そのためゾロアスター教やミトラ教の神を元に成立した阿弥陀如来の反論として、別の大乗仏教集団がヒンドゥー教の最高神シヴァ神を阿閦如来に仕立てた可能性が高いと考えられます。事実、阿弥陀如来の極楽浄土が「西方」に対し、阿閦如来の妙喜国は「東方」に位置し対立関係を形成します。

阿閦如来は中国にも伝来します。現在確認されている中国の中原で最も古い阿閦如来の仏像は、隋大業7年(611年)に済南に建立された四面塔の東面に彫られた石仏です。ただし、中国でも阿閦如来はマイナーな尊格に留まります。

一方で、阿閦如来がチベットに伝来すると大日如来の地位を奪い、後期密教最後の経典『時輪タントラ』で本初仏(全ての根源とされる仏)として阿閦如来が主尊となります。チベット仏教で仏教徒の理想郷・シャンバラも阿閦如来を本地仏とする守護尊(イダム)たちが守護するとされています。

阿閦如来と日本

阿閦如来は日本に仏教伝来時に請来した『大宝積経(だいほうしゃくきょう)』、『法華経』、『金光明経』などにも説かれているため、その存在自体は知られていました。しかしご利益が明確な大日如来や阿弥陀如来、薬師如来などとは違い、阿閦如来は単独で信仰されませんでした。

最澄や空海によって正式な密教が伝来すると、両界曼荼羅の金剛界五仏の一柱として東方を司る仏と認識されます。しかし、それ以上の阿閦如来信仰の発展はありませんでした。

仏像も大日如来と共に五智如来(大日如来【中央】、阿閦如来【東】、宝生如来【南】、観自在王如来(或いは阿弥陀如来)【西】、不空成就如来【北】)の一柱として製作されるだけで、密教系の大寺院以外で阿閦如来の仏像を目にすることはほとんどありません。

阿閦如来と十三佛

平安時代末期から鎌倉時代に掛けて世間に末法思想が広がると、儒教由来の十王思想を元にした中国仏教の地獄観が日本にも伝来します。

当時の中国仏教の地獄観は、人は死後に閻魔大王の他、冥府にいる十人の王により3年間に渡り生前の善悪の裁判が行われ、ここで悪人と審判されると地獄へ落ち、善人と審判されると天に昇り晴れて別人格としてこの世に転生できるとされます。

裁判の日時は決まっているので血縁者はその日に合わせ十王をお祀りする追善供養を行い、死者の罪の軽減を懇願します。懇願者が多く盛大だとそれだけ生前に良い行いをしたと判断され、罪が軽減されこの世に生まれ変われる確率が高まります。

鎌倉時代後期、この十王信仰を元に追善供養の法要が民間で始まったことが知られており、当初は中国と同じ三回忌で執り行われました。そして日本でこの十王に本地仏として仏教の如来や菩薩が充てられました。

日本で作られた偽経『仏説地蔵菩薩発心十王経』では、阿閦如来は十王の都市王の本地仏であると説いています。ただこの時点で一般的に認知されない阿閦如来がなぜ本地仏として採用されたのかは不明です。

時代が下り十三世紀になると、日本で追善供養の忌日が十三回忌まで増えます。それと共に仏の数も十三柱まで増えました。室町時代には阿閦如来は現代と同じ七回忌を司る仏として定着しています。

阿閦如来のご利益

『阿閦如来滅除重罪陀羅尼』の真言を唱えると、あらゆる苦しみが除かれ、邪悪や災害から守られ、地獄から救済され、女性は安産が得られ、大いなる福徳と知恵を授かるとされています。

阿閦如来の真言

オン 阿屈芻毘野アキシュビヤ ウン

阿閦如来が安置されている主な寺院

奈良県  法隆寺   木造阿閦如来坐像
京都府  安祥寺   木造阿閦如来坐像(国宝)
京都府  東寺    木造阿閦如来坐像
和歌山県 金剛三昧院 木造阿閦如来坐像(国重要文化財)
熊本県  蓮華院   阿閦如来坐像

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